主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。アーメン。
テロ、紛争、殺し合い、環境破壊、貧困、虐待、いじめ、差別、無関心・・何と罪に満ちている世界ではないか。罪の過ちを犯し続ける、私たち人間。こうした中、私たちにできることは何だろうか?まず第一歩は、神との和解、自分自身との和解、そして、自分をとりまく隣人との和解ではないだろうか。自分を赦せない、夫や妻を赦せない、親兄弟を赦せない、という人に世界平和を語る資格はない。
ご自身の命を捧げられた主イエスの愛と復活のうちに、希望と勇気を頂きながら、まず、自分を、自分の周囲を見直していきたい。平和を破壊するのが人間であるなら、平和をつくり出すことができるのも人間である。主の赦しに与る者として、この「平和の祈り」を、マザー・テレサのように、日々の祈りとして捧げていきたい。必ず、キリストの平和が、私たちの心に、家庭に、社会に、世界に、訪れるであろう。