平和の本質          教会員

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昨年の八月の平和月間には、コロナ感染危機の中でも平和月間の学びが続けられ感謝したが、半年後にロシアによるウクライナ侵攻が始まり戦争となり、話し合いによる解決を望む世界中の願いとは裏腹に武器援助をする国もあり出口が見えなくなっている。そんな中、77年前の広島、長崎の被爆がリアルに感じられ、沖縄を再び戦場にしてはならないと思いを深めている人も多いと思う。

八月に入って、たまたま目にしたNHKのドキュメンタリーで、沖縄ひめゆり記念館で証言していた学徒隊で、生き残られた方のリアルな証言を聞いた。前後は分からないが、―いざ手りゅう弾を手渡され、「伸管を抜いたらしっかり胸に抱いて」と言われた。死ぬのはこわくなかった!ところが、いざ伸管を抜くと「シュー、シュー」と煙が出てきた瞬間、「あっ!私の手がなくなるー!いやだ!!」と思わず手りゅう弾を投げ飛ばしたそうだ。死ぬつもりなのに何故か、自分の手がなくなるのが嫌だと思ったと言うのである。そして助かった!―それこそ、命自身があげた叫びであり、本音だったのだと強烈に思わされた。

また先日NHKで、ピカソの「ゲルニカ」の絵を見た。8Kカメラで映写したもので細部まで詳細に見える。1937年、スペインのバスク地方の町、ゲルニカは、反政府軍に手を焼いた時の将軍が、ヒトラーと結託したため、ドイツ空軍によって爆撃された。パリにいたピカソは、その悲惨な爆撃を知り、2日後に描き始め一ヶ月で完成した3m×7mの大作で、スペインの門外不出のものである。私は、そこに描かれている、人や動物(牛・馬・翼のない白い鳥)などを見て、涙を禁じえなかった。戦争の悲惨への憎しみが、線だらけの手のひら(死)や悲痛を叫ぶ姿の中に見えるが、同時に、生々しい人間の生への愛しさがにじみ出てきて目が離せない。丸木夫妻の絵を見た時と同じだ。特に、「灯ろう流し」の絵から、目が離せない。(教会で丸木美術館に何度か8月6日に訪れ、絵を鑑賞した)

死が描かれた姿から、逆に、愛しい生の命が浮かび上がる。体と魂を持つものとして創造された被造物全体は、個々に命の叫びに、そしてエネルギーに満ちている。死してなお叫ぶ「命こそ宝である」と、そして平和の本質であると。それ以外に何が欲しいのであろうか、戦争よ!!

「見よ、わたしはあなたを わたしの手のひらに刻みつける。」イザヤ書49:16