神よたまえ 平和を 神よたまえ 平和を
今 平和を われらに平和を 今 平和を われらに平和を
八月のテーマ賛美として上尾教会は、この「平和をわれらに」を一ヶ月間通して賛美いたします。
私がこの讃美歌と出会ったのは、月に一回行われている「首相官邸前でゴスペルを歌う会」です。輪唱にもなるこの賛美は、繰り返せば繰り返すほどにメロディと歌詞が折り重なって美しく響き、リードされる平良愛香牧師は5分近く、もしかしたらそれよりも長く輪唱を止めることなく何度も何度も繰り返され、そのうちにこの賛美の渦が官邸前の大きな交差点にどんどん広がっていくのを感じます。
原曲は「ドナ・ノービス・パーチェム」というラテン語のミサ曲で、神様に平和を願うこの賛美は、世界中で歌われているのですが、それぞれの国が背負ってきた歴史の中で願う平和は少しずつ形が違うかもしれません。しかし、自分の、我が子の、家族の、大切な誰かの、今日一日の幸せを願うとしたら何を思い浮かべるでしょう。安心して眠れて過ごせる場所がある、食べる物と食べる元気がある、笑える、泣ける、喜ぶ、怒る…。そんな当たり前のような日常の、そのどれか一つでも欠けたらと想像してみると…生きていくのはとても辛そうです。そんな当たり前のような日常が、実は人が人として生きていくためにとても大切で、その中に「平和のたね」がいっぱい詰まっているとしたら?
もっともっと沢山ある小さくて見落としそうな「日常」がとても愛おしくなります。「日常」の中に詰まっている平和の種が芽を出し、花を咲かせ、実を付ける。その実を喜び、そこから取れるたねを次の世代に渡していきたいと願うのです。平和のたねを育てていくために、人はもちろん、私たちが生きているこの地球も元気でなくては豊かな実りを得ることは難しいでしょう。
だから、今、忙しさの中で立ち止まって、それぞれの日常の中の平和のたねを見出し守り育てていきたいのです。
海も空も本来の姿であるように。私たちの中にいっぱいある「平和のたね」が沢山の実を付け「今」を生きていけるように。そして次の世代に平和のたねを渡していけるように。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」マタイ5:9