平和とは何かを考える    教会員

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“平和”とは一体何でしょうか。広辞苑に載っている意味は2つあり、1つは、

”やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと。”もう1つは、”戦争がなくて世が安穏であること。”となっています。

NHK番組「クローズアップ現代」では『戦争とテロ』というテーマで、子供たちから戦争に対する様々な疑問が挙げられていました。なぜ意見が違う時に話し合いではなくて戦争を起こすのですか?ミサイルを飛ばして、得する人はいるのですか?人を殺して何になるの?

戦争の理由には、様々な背景があると思いますが、よく言われるのが、資源・エネルギーの確保や土地、文化の違い、宗教間の争いなどであります。多くの国がお互いに平和を望んでいる一方、軍事力拡大や周囲への警戒・威嚇を起こす矛盾の世界に私たちは生きています。なぜ、私たちはお互いに争うのでしょうか。

私たちの日常生活でも、争いや妬み、悲しみに溢れています。イジメや虐待、差別や偏見、様々な暴力をニュースや身の周りで日々感じています。自分は関係ない、大丈夫と思う人もいるかもしれませんが、私も含め、憎しみや悲しみに心が支配され、気が付かないうちに周囲の人を言葉や行動で傷つけているのだと思います。

子供の時には、”ありがとう”や”ごめんなさい”と素直に相手に言えて仲直りできていたはずが、自分の非を認めず、周囲の人に無関心になったり、相手を攻撃したりするのではないでしょうか。恐ろしいことに、私たちは、いつの間にか、相手の顔を見ようせず、自分中心の生き方になっているのだと思います。まさに、平和とは自分自身の憎しみや悲しみに立ち向かうことなのではないでしょうか。

教会生活を通して、私は神様を知り、神様や家族、友人に多くの愛や赦しをいただいていると感じています。私自身、罪多き者ではありますが、「平和の祈り」の通り、「愛されるよりも愛することを、赦されることよりも赦すことを」望む人であり続けたいと思います。矛盾のある今日だからこそ、隣人を認め、赦し、共に平和を実現する者として歩んでいきたいのです。

あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」コロサイ3:12‐14