希望に満ちた慰めの書「イエス・キリストの黙示」

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「聖書日課」は新約聖書の最後の「ヨハネの黙示録」に来た。黙示録を読み始めると、難しい、分かりにくいという印象を持つのではないか。その主な原因は、黙示文学というわかりにくい形式で書かれているからである。「黙示」とは、覆いを取り去って、隠されていたものを明らかにするという意味である。人間が直接知ることのできない世界の始まりや終末、神の意志を、例え話で説明する形式である。

著者のヨハネは、当時迫害に遭い、エーゲ海の孤島パトモス島に流されていた。ある日、ヨハネは神の啓示によって未来の出来事を目にし、あらゆる災い、戦乱や飢饉、大地震などを記し、天使と悪魔の戦いや最後の審判の様子も記す。又、象徴的な数字や生き物が幾つも出てくる。最も有名なのは、獣の数字とされる「666」(13:18)。映画や小説で悪魔を指すとされるこの数字が、「ヨハネの黙示録」では具体名の記述はないものの、人間を指していると記される。その筆頭候補は、暴君として有名なネロ帝(在位紀元54~68年)。ネロの名前をヘブライ文字で表し、それを置き換えた数字を全て足すと「666」になると言われる。ほかにも、淫乱な女性の姿で表された「大淫婦バビロン」は、首都ローマを示しているとも言われる。

「ヨハネの黙示録」が、当時迫害を強めていたローマ帝国から各地の信徒を励ます目的で書かれたとすれば、信徒にはわかるが、ローマ人にはわからないようにするために、黙示文学が使われたのである。しかし一方で、「ヨハネの黙示録」に書かれていることは文字通り全て真実で、書かれている通りに世界の終末が遠からず来ると信じる人々が今でも後を絶たない。核兵器やテロの恐怖、新型コロナウイルスなどの疫病、地球温暖化などの環境問題、現在、世界が抱える問題は、その証拠だと考えるのだが、そのような文字主義に陥ることは、正しい理解とは言えない。

この書の目的は、苦悩する同時代の人々の「私たちの苦しみに意味があるのか」と言う問いに答えようとしたのであり、多難な出来事は決して無意味な悲劇ではなく、歴史の背後にあって、それを必ず完成させる力のある神の摂理の鎖の一環であること、各自には救いの歴史の完成に寄与する生き方があることを教え、主への信頼のうちに、その愛に踏み留まるように励ますことである。このことを私たちの中に留めることが出来た時、「ヨハネの黙示録」は、恐怖の終末を告げる予言書ではなく、希望に満ちた慰めの書「イエス・キリストの黙示」(1:1)であることがわかる。