嬉しいことに、岡田先生ご夫妻を迎えることができた。今年1月、上尾教会から伝道隊8名で那覇新都心教会に伺った時に、「めんそーれ、上尾教会の皆さま」という看板を掲げて、先生ご夫妻と教会の皆様が大歓迎してくださった。その温かいもてなしと、おいしい沖縄料理、エイサーの踊りは一生忘れられない思い出となった。
岡田先生ご夫妻は関西出身であったので、どこまでいっても「やまとんちゅ(本土の人)」であって、「うちなーんちゅ(沖縄の人)」にはなれないという、心のバリアを感じておられたが、16年間沖縄に移り住むうちに、すっかり沖縄の人々から慕われる存在になっておられた。特に、那覇新都心教会のミッションステートメントにある、「イエス・キリストにあって、(1)隣人となり地域に仕える。(2)沖縄・他都道府県・アジアの平和と和解の架け橋となる。(3)キリストの平和を実現する人々を送りだす。」は、岡田先生ご夫妻の働きに負うところが大きい。連盟が「ぬちどぅ宝の日」として覚えるようになったのも那覇新都心教会が提案者になってくださったからである。女性連合の「ぬちどぅ宝ツアー」も、少年少女の「隣人に出会う旅」も、沖縄から宣教を考える会の「フィールドツアー」も、岡田先生ご夫妻の名ガイドがなければもはや成り立たない。
それは上尾教会の伝道隊での「平和ツアー」でも感じた。深澤和子姉が語っていた。「後半の二日間は平和ツアーです。その初日は教会から北へ。日本が繰り返してきた戦争が深く関わっている、といっても今の事。現状を知り、沖縄の痛みに触れる一日となりました。高速に乗って一気に2時間弱。”標的の村”の舞台となっていた高江まで行きました。道中、岡田富美子姉が沖縄の町の風景や動植物、人々の様子などについて説明をしてくださいました。そして辺野古、佐喜眞美術館、普天間基地前ゴスペルを歌う会という行程で戻ってきました。最終日は勝つはずのない最後の戦争でいよいよ追いつめられた日本は、攻撃が本土に来るのを避けて、沖縄が戦場になるよう仕向けたのですね。映画やお話で聞いていたそのたくさんの悲しい歴史の現場に立ち、事実を学ぶ時となりました。”たいせつな命・戦争をしない”私たちはだれもが神様に造られました。神の子なのです。平和を実現しない者になってはいけないことをわかっていただけるまで、お伝えしていきたい、そう思いました。」私も深澤姉のように、「そのたくさんの悲しい歴史の現場に立ち、事実を学ぶ時となりました。」見たこと、聞いたことを今度は伝えていくという大きな宿題が与えられた。今回、岡田先生ご夫妻から、更に沖縄の声を聴きたい。