居場所のあるクリスマス

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今年、コロナウイルスの感染拡大で外出の自粛が求められた時、自宅に居場所がなく、孤立を深める少女たちの相談が、支援団体に相次いで寄せられたとのこと。それは少女たちだけではない。「自分にはどこにも居場所がない」という声をよく聞く。家庭に居場所がない、学校に居場所がない、職場に居場所がない、この社会のどこにも自分の居場所がないのである。それは、自分が誰からも必要とされていない、誰からも認められていない、誰からも愛されていない、と言うことでもある。そんな思いを感じる時、私たちは自分が安心して居られる居場所がどこにもないように感じる。

誰にとっても自分の居場所が必要である。人と一緒にいても自分だけ居場所がないと感じる時の寂しさ、惨めさほど辛いものはない。だから、人は自分の居場所ということにとても敏感で、闇の中でさ迷うように、自分の居場所を探し、自分の存在を受け止めてもらえる場所を求めて生きている。「あなたは大事な存在なのだ」「あなたが必要なのだ」と、ありのままを受け入れてくれる、そんな存在を求めている。

主イエスは「居場所のない人」だった。ローマの皇帝の人口調査の勅令のために、マリアとヨセフはベツレヘムに旅をしなければならなかった。その上、ベツレヘムに来てみると、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ルカ2:7。更に、ヘロデ王の迫害を恐れて、エジプトへ避難しなければならなかった。イエスは「ホームレス」となり、「難民」となった。「あなたはここに来るべきではない」「あなたはここに居るべきではない」そうやって、誰からも迎え入れてもらえず、はじき出され、追い出された。

そんなイエスこそ、クリスマスの意義を豊かに示してくれている。なぜなら、同じようにこの社会から締め出され、自分の居場所を失っている人の友となるために、「あなたはここに居ていいのだ」「あなたにここに居てほしい」と願って、イエスは飼い葉桶の中でお生まれになった。居場所を失い痛みを抱えた人が、そんなイエスに出会う中で、「私と共に生きてくれる人がいる」と、人生を回復することができるのである。

私たちも、主イエスに従って、「居場所のない人」のために生きることが求められている。主イエスにこそ、私たちの居場所、人生の居場所があると、周りの人々に伝えるクリスマスにしたい。「ここにあなたの居場所がある」と、この会堂を、ベツレヘムの宿屋とすることなく、神の国を少しでも表す飼い葉桶として用いていきたい。