30年前、祈祷会での子供たちの祈りはいつも「教会が大きくなるように」であった。子供たちの成長と共に、32坪の敷地に建つ旧会堂は益々狭くなっていき、教会前の道路で遊ぶ子供たちに、「車が来るから危ない」と叫ぶことが多くなった。だから、子供たちが会堂の中で安心して過ごすために、教会が大きくなることは切実な課題であった。子供たちのその祈りに導かれるように、上尾教会では会堂建築を目指そうということになり、現在地117坪を購入し、20年前に会堂を建てることができた。
この大きな御業の背後には、小さな祈りの積み重ねがあった。途中、何度も挫折しかけ、会堂建築は無理かなぁと諦めそうになった私たちを押し出してくれたのは、毎週の祈祷会で「教会が大きくなるように」と疑わずに信じて祈る子供たちの姿であった。「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」マルコ10:15。まさに、子供たちの祈りに導かれて、新会堂に入ることができた。それを思うと、どんな事にも、小さな祈りの積み重ねが大切だと感じる。
丁度、30年前、東西ドイツを分断していたベルリンの壁が崩壊した。この大きな歴史的出来事の背後にも、小さな祈りの積み重ねがあった。1982年、ライプツィヒのニコライ教会ではクリスチャン・フューラー牧師の提案で、「平和の祈り」という集会を毎週月曜日に行うようになった。最初は少人数であったが、次第に参加者が増え、東ドイツの現状体制に反対する市民運動の拠点となり、1989年9月からは集会後に「月曜デモ」が始まり、10月9日の「平和の祈り」の後、教会周囲に集まったデモ参加者は7万人にまで達した。1ヶ月後の11月9日に「鉄のカーテン」の象徴たるベルリンの壁が崩壊し、分断国家ドイツを1人の犠牲者も出すことなく統一へと導いた。それ故、ニコライ教会は「東西ドイツ統一革命の出発点」と言われ、東西ドイツ統一のきっかけとなった「平和の祈り」は、現在も絶えることなく受け継がれている。
今日、人が集まらないから、祈祷会を止めようという教会があることを聞く。また、祈っても叶えられそうにないから、と祈祷会に参加することを諦める人がいる。しかし、小さな祈りの積み重ねが大きな奇跡を生む。預言者サムエルは、「わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。」サムエル記上12:23と、祈らないことは罪であるとさえ語った。神は、私たちの祈りを通して、御業を進めようとしておられる。小さな祈りを積み重ねようではないか。