私は小学2年生のクリスマスにバプテスマを受けて、その翌週から礼拝の奏楽者になりました。今からもう30年近く前の話です。あの時は特に不思議には思いませんでしたが、今考えてみると“なんて小さい子供がピアノを弾いていたんだろう”と思います。
当時、上尾教会には礼拝の前に「アッセンブリーアワー」というゴスペルを歌う時間がありました。私はその時間をとても楽しんでいたと思いますが、会衆の歌声を聞いて弾くというのには程遠く、何やら好き勝手に弾いていたと思います。弾く時になって、楽譜の用意をしておらずパニくる、会衆がついていけないスピードで弾く、ということも多々ありました。旧会堂ではアップライトピアノが壁に向かって置かれており、奏楽者は講壇に背を向けて座る状態でした。バプテスマがある時は、講壇を外してその下の水槽に水を貯めていたため、すぐ横でピアノを弾いていた私は、いつピアノの椅子が動いて私ごと水の中に落ちてしまうのではないかとヒヤヒヤしていました。またある時は、葬儀でピアノを弾くこともありました。自分のすぐ後ろに置かれた棺に泣きつく家族、その悲しみを背中に感じながら弾いたピアノはとても重たかったのを、子供ながらによく覚えています。
こんな私の奏楽人生ですが、いつもその奉仕の背後には教会の皆さんの祈りと励ましがありました。私が弾くピアノを皆さんが喜んでくださる、それが私にとっても嬉しかったです。旧会堂時代、人が入りきれなくなった時から1日に2回礼拝を捧げるようになりました。そうなると、奏楽も1日に2回まわってくることがあり、正直「面倒くさい」という空気を前面に出しながらピアノを弾いていたこともあります。それでもやはり、教会の皆さんは喜んでくださいました。「真奈ちゃん、今日もピアノよかったよー」と声をかけてくださいました。小さな奏楽者は、皆さんの忍耐と愛によって育てられてきたのです。
そして、神様もどんなにかこの小さき者の奉仕を喜んでいてくださったことでしょう。イエスを背中に乗せた子ロバのように、人間の目には取るに足りない者でも、主は十分に用いてくださるのです。余裕のない日々を過ごす私にとって、奉仕は時に負担に感じる時もあります。それでも、神様の喜んでいる姿を思い浮かべる時、なんとも言えない幸福感に心が満たされるのです。だからこれからも、与えられた賜物を用いていきたいと思います。