「孤独」が深まり、「自分はいてもいなくても同じだ」「他者を殺して、自分も死ぬ」という声がカタチとなった悲しい事件が続いています。事件を起こす前に、誰か一人でもいい。「あなたは一人ではない」「あなたに生きて欲しい」という声かけがあったら、どうだっただろうか、とふと思います。
「孤独」について共に学びたい。知的障がい者と健常者との共同生活の家「ラルシュ共同体」創設者であり、カトリック信者ジャン・バニエさんの著書『人間になる』には、「孤独」についてラルシュの家での体験から考察しています。「孤独」は人間皆が生来もっているもの。隠しているに過ぎないもの。独創性や芸術性は、「孤独」であることから生み出される「孤独」の善い面を紹介しています。しかし、ジャンさんが出会ったラルシュの家にたどり着いた障がい者の人たちは皆、孤独がもたらす不安や、恐れ、怒り、失望など、いろいろな傷を抱えていたのです。
「苦しみは、心の動揺、わけの分からない不安です。苦しみは、睡眠その他の生活リズムを乱し、私たちを混乱させます。孤独であるとは、自分が望まれていないとか、愛されていない、したがって愛されるに値しないと感じることです。孤独とは死の予感です。ですから、ひどく孤独な人たちの中には、心の痛みを忘れるために精神病になったり暴力をふるったりする人がいるのも不思議ではありません。」(p.16)「孤独とは、人間として尊重され愛されたい、さらにそれ以上の真理に包まれ、神に抱かれたいという叫び(しばしば、悩める心の痛切な叫び)のことです。そのような叫びから、人類は一層健やかに成長することができるのです。」(p.25)
これらの言葉から、現代の無差別殺人事件の背景が垣間見えてきます。ジャンさんはラルシュの家において、露わになる一人ひとりの孤独の感情や気持ちを丁寧に聞き、感じ、抱きしめ「あなたが必要だよ」、「あなたと生きたい」という思いを伝え、「孤独」の傷が癒される体験を語っています。
ジャン・バニエさんのような働き人の声から今、「孤独」の傷が深まるこの時代で「私」はどう生きるのかを考えたい。そしてキリスト教会に集う、私たちは聖書から聴き、共に学び続けたいと思います。『「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。』マタイ1:23。「あなたは一人ではない」「共に生きよう」主イエスの語りかけをこの身に受け、孤独からの回復の道を一緒に歩み続けたいのです。