本日は「子供の日礼拝」を迎えた。いつも子供たちに礼拝奉仕をしてもらっていたが、子供たちが成長し、子供たちの受浸者が少なくなった今、「もう私は子供ではない」という青年にも奉仕をお願いした。しかし、子供がまったくいない訳ではない。子供たちは私たちの周りにいるが、主のもとに連れてくる機会が少なくなったのだ。
「しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」ルカ18:16。乳飲み子たちは、自分の足で主のところに来ることはできない。だから、「子供たちを私のところに来させなさい」と、弟子たちと親の双方に言われた。つまり、親が子供を連れて行かなければ、また教会が受け入れなければ、子供を主のもとに導くことはできない。子供の救いと霊育には、教会と親との協力が欠かせないのである。
先週、出席した三鷹教会の礼拝では「幼子(おさなご)祝福式」が行われ、2人の幼児が祝福に与った。その式は、親と教会員とが、責任をもって霊育に当たることを約束し、執事が教会を代表して幼子を抱いて祈る、大変よい式であったので、下記に紹介したい。
◇司式者「ただ今より幼子の祝福を行います。この夫婦は神の恵みによって幼子が与えられ、今神の御前にささげようとしています。子どもが与えられることは、神の祝福によることであり、夫婦にとっても教会にとっても大きな喜びであります。私たちはこのことを神に感謝し、幼子を御心に従って守り育てることができるよう、神の助けを祈り求めましょう」
◇司式者「(両親)あなたがたは神の恵みによって与えられた幼子を神の御手にゆだね、主イエスを救い主と信じる信仰を告白する者に育てようとしています。キリスト者の家庭に生まれた者は、祈られた者であり、親と共に神をあがめ、信仰を受け継ぐ者であると、聖書は教えています。あなたがたは、この教えを真剣に受け止めて、次の約束をしてください。あなたがたは、この幼子を健全に育てる親の責任を果たすのみならず、この子に聖書を学ばせ、家庭においても教会においても共に神を礼拝し、あらゆる配慮と祈りをもって、この子がバプテスマを受けるまでの道を整え、またバプテスマを受けてからの日々をも覚えて祈り、共に歩むことができることを信じ、このことを約束しますか」◇両親「約束します」
◇司式者「教会員はお立ちください。あなたがたは、今幼子の両親の誓約を聞きました。あなたがたもこの夫婦が誠実にその責任を果たすことができるように、あらゆる配慮と祈りをもって助けることを約束しますか」◇教会員「約束します」