私たちの上尾教会では、「ABCキッズクワイア」がかつて大活躍していた。ABCとは、「Ageo Baptist Church」の略である。礼拝の中で幼児や小学生が歌って踊って、賛美を捧げた。その賛美に、どれほど励まされ、希望と喜びをいただいたことであろうか。今、幼児が少しずつ与えられているので、「ABCキッズクワイア」の復活が待たれる。
上尾教会のミッションステートメントに、「わたしたちは、神の栄光をたたえて、こどももおとなも一緒に礼拝を献げます。」と掲げた。それは子どもが礼拝にただ出席するということではなく、子どもも賜物を用いて礼拝に参与することである。礼拝に参与することによって、子どもたちの信仰が養われてきた。OHP係を担ったきた子どもが、「もし、この奉仕がなければ、礼拝に行かなくなったかもしれない。」と言った言葉を思い出す。子どもなりに、自分が礼拝の一部分を担っているという自覚が信仰生活を支えている。
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」詩編133:1。この詩は「都に上る歌」とあるので、礼拝者の心境を歌ったものである。「見よ、子どもたちが共に礼拝を献げている。なんという恵み、なんという喜び。」と読み替えることもできる。子どもたちと一緒に礼拝を献げることによって、他では経験することができない恵みと喜びを経験することができる。その恵みと喜びを、ここでいくつか紹介したい。
まず、子どもの成長を祈り、見ることができる。献児式に始まって、子ども祝福式、成人祝福式、そして様々な証しを通して、たくましく成長している姿に深い感動を覚え、成長させてくださった主に感謝を捧げる。また、主の御前で、和解の福音に共に与る時、赦し合う者へと変えられる。子どもたちにとって、親(大人)は煙たい存在かもしれない。自分のことをわかってくれない親に、失望するかもしれない。些細なことで親子喧嘩が起こり、家出したくなるかもしれない。しかし、礼拝を一緒に献げる中で、こんな罪深い私たちのためにも主が十字架にかかって全ての罪を赦してくださったことを知り、相手を責める心ではなく、赦す心が生まれてくる。
そして、子どもたちと一緒に礼拝を献げる恵みと喜びは、家庭の中にも賛美や祈りとなって満ち溢れていくことを経験できる。「親子聖書日課」で信仰が養われていく内に、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」ヨハネ6:27という主の言葉に応答して生きる生き方へ導かれるだろう。これからも、子どもたちと一緒に礼拝を献げる恵みと喜びを見出していきたい。