天に栄光、地に平和

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主の降誕の知らせを羊飼いたちに告げた天使に、天の軍勢が加わって、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカ2:14と神を賛美した。ラテン語では前半は「グローリア・インエクセルシス・デオ」となり、新生讃美歌165番の「荒野にはてに」の繰り返しで歌う有名な賛美である。

「天には栄光」は、神の性質を表わす極めて重要な言葉である。神は天で光に満ちて溢れ、栄光に輝く存在として表現されている。又、「地には平和」は、神と人間の関係、人と人との関係を表わす極めて重要な言葉である。平和とは、食べ物や着る物や住まいが与えられ、基本的人権が守られることであり、人と人の間に争いがなく、民族や国の間に戦争がないということである。それと同時に、「平和」という言葉は「平安」という意味をも表す。すなわち、心の内側に「不安」ではなく、「平安」があって、人と人の間に「平和」な関係が築かれていくことである。

私たちはこの地に、平和を求めているのに、平和が実現しないことに、深い悲しみと憤りを感じているのではないか。ミャンマーや香港や新疆ウイグル自治区でも市民が弾圧され、アフガニスタンでも女性や子供の人権が抑圧されている。それは国外のことだけではない。国内でも、沖縄において、軍事基地が市民の反対を押し切って、次々と建設されている。それは辺野古新基地だけではない。南西諸島と呼ばれる鹿児島から台湾までの1200キロの島々(奄美大島、沖縄本島、宮古島、石垣島など)に自衛隊のミサイル基地が作られ、島民の住居から100mしか離れていない所に弾薬庫が作られている。もし有事になれば、米軍基地が集中する沖縄やミサイル要塞の島々は真っ先に標的になると、島民は恐れている。本州では市民の反対でミサイル基地を断念しても、南西諸島へは、国家権力で強引に押し付ける。

では、この地にどうしたら平和が築かれるのか。この天使の賛美は、天における神の栄光と、地における人間の平和とは、その関係において不可分であることを語る。つまり、地の平和は私たち人間の努力によって打ち立てられるものではなくて、天の神の栄光によってこそ実現するのである。神の栄光、神の愛こそが、この地に平和をもたらすのである。主がこの地上にお生まれになったのは、罪の支配下にある私たちに、神の栄光を現し、その栄光の力によって救いを与え、私たちに本当の平和をもたらすためであった。主は、天の栄光と地の平和とを結びつける唯一のお方である。