先週は、命の大切さを改めて考えさせられた。二日間に亘って、野中宏樹先生から原発とはどういうものであり、どのような被害を人体や環境に与えているかを、詳しく伺うことができた。先生が原発の差し止め訴訟に関わるようになったのも、「原発は、神様が大切にされている命の問題です。誰かのヒバクの上に成り立っている原発は、その大切な命を奪っているのです」と言われた言葉が印象に残った。今もヒバクで苦しむ人々が大勢いる。私達はその声に耳を傾け、原発のない社会を目指したい。
それは、沖縄の米軍基地も同じである。基地があることによって、またしても痛ましい事件が起こった。日本政府は、安全保障の上で、米軍基地は必要だと言うが、「沖縄の人々の犠牲の上に成り立っている基地は、むしろ大切な命を奪っているのです」月曜日に首相官邸前での「ゴスペルを歌う会」には上尾教会から5名で参加し、普天間基地前での「ゴスペルを歌う会」に連帯して、追悼の祈りと賛美を捧げた。私達は沖縄の声に耳を傾け、基地のない社会を目指したい。
そして、オバマ大統領がアメリカの大統領として初めて被爆地の広島を訪問したその模様をテレビで見た。原爆資料館を見学後、平和公園の慰霊碑の前で献花をして、そこでスピーチをし、ヒバク者と会見し、原爆ドームに歩み寄る、時間にして1時間足らずではあったが、ヒバク者の心にはどのように響いたであろうか。大統領はスピーチの中で、「私達は今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供達が目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。罪のない人々が、むごい酷い戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます」と語りかけ、更に「このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この死の道具が狂信的な人達に渡らないようにしなくてはなりません」と核保有国として核軍縮への責任に言及したが、その一方で、アメリカは保有する大量の核兵器の刷新を図り、核優位の立場は崩してはいない。私には、大統領の言葉は、相矛盾する二つの基準を使い分ける「ダブルスタンダード」としか思えない。私達はヒバク者の声にもっと耳を傾け、核兵器のない社会を目指したい。
「人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りとする。私の口から言葉を聞くなら、あなたは私に代わって彼らに警告せねばならない」エゼキエル3:12。祈祷会で学んだ御言葉である。誰の大切な命も奪わないために、見張り人として、命の言葉を伝えたい。