人間には持たなければならない大切な感覚が二つあります。
一つは、「自分のことを大切」と思う感覚です。
自分のことを大切と思うのか、逆にいらない人間と思うのかで、その人の人生に大きく影響を及ぼします。
ある少年鑑別所に入っている少年が「俺は両親の避妊の失敗で生まれた」と言ったそうです。
彼は自分のことを「失敗」と受け止めているのです。
聖書は、「あなたは私の目には高価で尊い」と書かれています。
生産性があっても、生産性がなくても、早くても遅くても、健常でも障がいがあっても、神の目には高価で尊い存在なのです。
二つ目は、「どんな時も大丈夫」と思う感覚です。
聖書に「万事相働きて益となる」と書かれています。
人生、右に転んでも左に転んでも神の大いなる手の中での出来事にすぎません。
渡辺和子先生が、幸せのありかと言う本の中で「大丈夫の小石」と言うことを書かれています。
自分の病気が治るかどうかと悩んでいる人に、「大丈夫と書かれた小石」を握らせてあげるそうです。すると、患者さんはとても喜んで「私の病気は治るのですね」と口々に言うそうです。
それに対し「これは、あなたの願っている通りになる、大丈夫の小石ではなく、どちらにころんでも大丈夫と言う小石なのです。」
聖書には、私たちの計画や人生が行き詰まっても、神の計画と神の道は開かれており、大丈夫どころか益になるとまで書かれています。
この二つの感覚は、人生においてなくてはならないものなのです。