18年前、会堂を建てた時、「地域に開かれた教会」を目指すことを掲げた。しかし、教会は三井住宅の中では新参者であり、宗教施設と言うことで、警戒心があったことは確かである。しかし今は、様々な機会に地域の人々が来られるようになった。5月より三井会館の建て替えに伴い、上尾教会が仮集会所となり、様々な活動のために用いられている。住民と親しくなる内に、教会が三井住宅の一角に建ってよかったという声を聞くようになった。歩いていると向こうから挨拶をされるようになったので、身だしなみも気をつかうようになった。6月12日には歌の会がコンサートを、8月26日には秋山姉が属する防災部が講演会を、ゲストを招いて行う。
「教会」の語源であるギリシャ語の「エクレシア」には、「集まり」という意味があり、主を信じる人々が集まる共同体、又、キリストの体として、様々な賜物を持った人々が共に形成する共同体である。上尾教会も、福音のためにプログラムやイベントを沢山導入して、教会というコミュニティを築こうと頑張ってきたのではないか。それは決して悪いことではないが、それだけに頼り、この地域にある教会という存在にも関わらず、教会の主義に合わないということで、地域の人々と距離を置き、地域から孤立したコミュニティにしてしまっていたのではないか、と気づかされた。
教会という存在は、礼拝や祈りを捧げるだけの単なる宗教施設ではない。教会は地域につながってこそ、「地域教会(ローカルチャーチ)」となる。歴史的にもヨーロッパやアメリカなどでは、多くのコミュニティは、教会を中心に形成されてきた。教会は、地域のコミュニティとして、社会的立場の弱い人、特に孤児などを保護して養育する中で宗教教育を行ってきた。セーフティネットの意味合いを持っていた。
そしてこれは新しいことではなく、実は使徒言行録で描かれている。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」使徒言行録2:44-47。教会には、全年齢層が集える。子供や高齢者の居場所がある。「世の光」として、地域に良い影響を与える存在になりえる。地域の人々が、一緒に教会を築いていける仲間として、今後加えられることを大いに期待したい。