地には平和

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先日、普天間基地に隣接する保育園と小学校に米軍ヘリから部品が落ち、危うく大惨事に繋がるところであった。保育園は普天間バプテスト教会付属で、私も訪ねた時、真上を米軍ヘリが爆音を轟かせて行きかい、今にも落ちて来るのではないかという恐怖を感じたのを覚えている。子供たちや保護者、保育士や神谷牧師は、どれほど緊張した毎日を送っておられるだろうか。日本国憲法第25条では、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と謳われているが、沖縄では憲法が保障するその権利さえ奪われている。私たちは沖縄の人々の叫びを聞いて、「基地はいらない」と、共に声を上げていきたい。

クリスマスという出来事の中にも、個人の権利が奪われ、人間扱いされない人々が登場する。当時、ローマ帝国は人頭税を取り立てるために、全植民地の人数を調べるために住民登録をさせた。ユダヤの民はすでに重税に苦しんでいたが、さらに取り立てられた。妊娠中のマリアはナザレ村からユダヤ地方のベツレヘム村まで約100キロの旅を強いられた。そして自宅ではなく旅先で生むことになる。しかも宿屋は満員で、マリアは衛生状況の悪い馬小屋でしか生めなかった。また、野宿をしながら徹夜の羊の番していた羊飼いたちも、律法を守れない職業の人として人々から軽蔑され、街から締め出され、まったく割の合わない重労働の仕事を担った。

しかし、その彼らが神に選ばれ、神の御子の第一発見者となるのである。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」ルカ2:11。この世界で力を持ち、力を振るっている人ではなく、力を奪われている人にだけクリスマスの出来事は伝えられた。人間扱いされなかった御子イエスは、人間扱いされていない羊飼いと深く関わり、救いの喜びをもたらしたのである。

天使の大軍は突然歌い出す。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカ2:14。戦争が無いことが平和なのではない。たった一人でも人間扱いされていない人がいれば、地上には平和は実現していない。クリスマスは子供も含め人間扱いされていない人を救い出すために、イエス・キリストがお生まれになった出来事である。「今日ダビデの町で」個人の権利が奪われている人々が住む町で」と読み替えてみよう。「たいせつな命 戦争しない」のバッチを心に刻みたい。