喜びと平安と信頼      教会員

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スチュワードシップ月間に入りました。「イエスこそ私の主です」また「私は主のしもべです」と告白します。それは、主人であるイエス・キリストに忠実であろうとすることを意味します。私たちクリスチャンは、誰でも神の良きしもべとして生きたいという思いを持っています。この思いこそ、クリスチャンのスチュワードシップです。

私たちはともすると、スチュワードシップという言葉を聞いた時、何かしなければならない、何か献げなければならない、といった思いを持ってしまいます。神のために何かすること、それがスチュワードシップであると考えてしまうのです。しかし、忘れてはならないことは、主が先立ってスチュワードシップを示されたことです。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」Ⅰヨハネ4:10。神が私たちを愛し、私たちに仕えてくださいました。私たちが献げるより先に主イエスは私たちの救いのために、全てを献げてくださったのです。私たちは、十字架に上げられた人、苦しみ、悩みながらも「十分の十」を献げたお方、神の救いの計画の完成のためにご自身を献げた、神の完全なるスチュワード、イエス・キリストを「私の主です」と告白します。そして、クリスチャンは、この主のスチュワードシップに倣うのです。

「わたしが彼らのうちに住むために、彼らをエジプトの国から導き出した彼らの神、主であることを彼らは知るであろう。」出エジプト記29:46(口語訳)。ここを榎本保郎先生の『一日一章』によると、「私たちは内に住みたもうキリストという見解に同意するが、私たちの大部分は、ほとんどの時間、それに同意しないかのごとく行動する。私たちは、キリストが私たちの中にいまし、意志し、行為しておられると事実を見失ってしまった。その結果私たちは、神の子たちに正当に属するあの喜びと信頼と自発性を持っていない。当然の結果として、私たちの道は平らかなでなく、困難を伴っている。・・・では一体なぜあなたの中にキリストは生きておられないのだろうか。それはあなたが、エジプト(古い自分)から導き出したもう神に従って、出エジプトしていないからである。古い自分から出ることなしに内住の主を迎えることはできないのである。捨てることをおろそかにして求めることは愚かである。」

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。」へブル12:2(口語訳)とあるように、ただ十字架の主を仰ぎ、与えられた信仰を固く持って、御許に行く日まで、共に走り抜こうではありませんか。