命は何よりも大切な宝

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先週の祈祷会で学んだ出エジプト記19章には、「あなたたちは全ての民の間にあって 私の宝となる。」19:5とあった。イスラエルの民が神から、「あなたたちは私にとって大切な宝の民なんだよ」と言われたのは、律法を守り、よい行いに励んでいたからではない。むしろ「主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自身の宝の民にされた。」のは、「あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」申命記7:6-7からである。律法を十分に守ることができず、弱さを持つ民だったからこそ、「御自身の宝の民にされた」のである。

この神の言葉は、そのまま日本国憲法にも当てはまるだろう。この憲法の出発点にあったのは、かつての侵略戦争によって起こした名状しがたい惨禍を二度と繰り返してはならないという真摯な反省と決意である。個人の基本的人権を大切にしたいと第13条では、すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と謳っている。誰も個人の自由権を奪ってはならない。

しかし、最近の様々な出来事を見る度に、個人が大切にされていないことに憤りを感じるのである。アメフトの試合で無防備な相手選手を、重大な反則行為でけがをさせた事件で、「反則の構造」と題して、斎藤美奈子氏が東京新聞のコラムで語っていた。「①監督が全体的な方針や方向性を示し、②コーチが「相手のクオーターバックを一プレー目でつぶせ」などの具体的な指示を出し、③他の選択肢がないところまで追い詰められた選手が、悩みながらも「つぶしにいくから(試合で)使ってください」と申し出る。悪質なタックルに及んだ日大アメフット選手の会見は、旧日本軍の上官と兵士の関係を連想させるものだった。・・・追い詰められた兵士の立場と心情を図らずもあぶり出した。」

来月23日には「沖縄命どぅ宝の日」を迎えるが、命は何よりも大切な宝である。主が私たちに伝えてくださった福音も「命どぅ宝」である。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」マルコ8:36-37。命を大切にしない、経済優先主義、効率主義、勝利至上主義が、又、性差別が、様々なハラスメントを引き起こし、人の命や体や心を奪っていくのである。一人ひとりの命は、全世界よりも重いのである。その一つ一つの命が、「かけがえのないもの」であることを伝える使命が、私たち教会にはある。