大宮教会の50周年記念式典で宣教団の大上先生が、「教会は高齢でも生むのが困難なことはありませんから、是非、これからも新たな教会を生み出してください」と言われた言葉を思い出す。井置利男先生からも、「上尾教会を生み出したので、次は、上尾教会が新しい教会を生み出してください」と言われた言葉を思い出す。しかし、新たな教会を生み出すには、教会に体力も気力も必要だし、計画性も大事である。
しかし、何よりも大事にしたいことは、幻に導かれることである。パウロはマケドニア人の叫び、「マケドニア州に渡って来て、わしたちを助けてください。」使徒言行録16:9を幻の内に見た。パウロはアジア州に留まって伝道する考えだったので、マケドニア(ヨーロッパ)に渡る予定はなかった。伝道は、熟慮して進めるべきものだが、忘れてはならないことがある。伝道を導くのは聖霊である。そして聖霊の導きの下に、人との出会いがある。聖霊は、幻の内にマケドニア人との出会いへとパウロを導いた。このマケドニア人の叫びを聞き流すことは出来たかもしれない。事実、世の中には助けを必要としている人々の叫びが無数にある。それで私たちは他人事として聞き流すことが多い。でもこの幻は聞き流せなかった。それはマケドニア人の叫びが、他人事ではなく自分の人生に無視しえないものとなったからである。
パウロが最初一人で見た幻が、伝道を一緒にする「私たちの幻」として確信された。「マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」使徒言行録16:10。そして、幻を見たパウロだけではなく、私たちもすぐにマケドニアへ向けて出発した。どんなに必要に迫られた幻であったとしても、パウロ一人が確信し、行動したのではなかった。伝道する仲間と、幻を共有するという作業こそ、教会に欠かせない。幻を共有する人がいれば、初代の人がいなくなっても、その働きは続けられるだろう。
壮大なヨーロッパ伝道を夢見ることが先にあったのではなく、あくまでもこのマケドニア人との出会いに突き動かされての展開であった。そして、マケドニアの都市フィリピでリディアという女性が救われ、家族も救われ、家の教会が誕生した。私たちも「わたしの町に来て、福音を伝えるために助けてください」と叫ぶ人と出会い、その幻を教会の祈りの中で、共有していきたい。すでに、毎週の祈祷会で、「開拓伝道」のために祈りが捧げられているので、幻の内に出会いを期待したい。