先週は、終活について学び、その必要性を実感させられることが多かった。死は誰にでも確実にやってくる。全く思いもよらない時にやってくる。しかし、自分の死はまだ先のことだと思い込み、死への備えを怠ったばかりに、周りの人にも迷惑をかけ、全く証にならない、不本意な最期を迎えるということだけはしたくない。
「泉のほとり」では、キリスト教葬儀社「輝」の松崎充彦さんから「凱旋の備え」というテーマでお話を伺った。その中で、天国への凱旋に備え、元気なうちに家族や教会に自分の葬儀に関する希望をしっかりと伝えておくことが、とても大切であることを学んだ。家族が未信者であれば、尚のこと、自分の葬儀は全て教会にお願いしたいと家族に伝えておくことである。又、葬儀に関する希望はもちろんのこと、納骨場所、献金や寄付、献体のことなど、あとで問題にならないようにはっきりと自分の意志を伝えておくことである。特に、財産に関わることは、相続争いが起きやすいので、遺言や後見制度のことを法律の専門家に聞いて、適切に対処すべきである。又、本人は宝物だと思っているものでも、家族にとってはゴミ?としか思えないものもたくさんあるので、断捨離しておくことも、凱旋の備えであると教えられた。
先週、上尾教会の墓地に入ることを希望されたTさんを、私と妻と武章子さんで茨城県結城市のご自宅に訪問した。Tさんは今月に入って重い病であることがわかった時、妹のKさんが納骨されている上尾教会の墓地に一緒に入りたいと願われたのである。その願いを叶えたいと娘さんが上尾教会を探し回って、教会に電話をかけてこられた。Kさんの命日には毎年のように上尾教会の墓地に行っておられるので、墓誌に刻まれた教会員の名前も覚えておられた。私が、「墓地に入る以上に天国に入ってほしい、妹さんともそこで再会できますよ。」と言って、イエス様の言葉である、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」ヨハネ11:25-26とTさんに尋ねと、「信じます」と答えられた。そして、主に全てを委ねて、祈りを捧げた。Tさんは、「上尾教会に伺いたい」と安堵の表情を浮かべて言われた。
もはや老いて病に侵されても、私には何もできないと思ってはならない。私たちには「死ぬ」という大切な仕事が残されている。人生の幕を下ろすまで、主の望みを抱いて、凱旋の備えをしっかりしていくなら、神の栄光を現すことができるであろう。