共に祈り合うことの大切さ

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最近、祈祷会に子ども達も参加している。子ども達が、共に祈り合うことは、神の御業を体験する大きな機会となる。主が「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」マタイ18:19と言われたように、祈祷会では、神のみ心がかなえられることを実感できる。この祈祷会の歴史は古く、ペンテコステ以前から「彼らは皆…心を合わせて熱心に祈

っていた。」使徒言行録 1:14、又、日本で最初のプロテスタント教会は、1872 年、

宣教開始当初から祈祷会を始めた。伝道には、執り成しの祈りが欠かせない。「祈りの家」としての教会は、いつの時代も、礼拝と共に祈祷会を大切にしてきた。

山下萬里先生は『死と生』の著書で、祈祷会の大切さを下記のように語っていた。

「“祈りの集い“が始まったのは、1988年4月24日のことでした。それにはこんな理由があります。そのひと月前でしたか、ひとりの若い女性が初めて礼拝に来られました。他の教会ですでに洗礼を受けられ、結婚して所沢に移って来られたのです。例によって、礼拝後のお茶の会にも残られ、いろいろ話しました。ところが、3回ほど礼拝に参加された後、しばらくして、思いがけなくこの方の訃報を聞くことになりました。自殺をされたのです。ご家族も思い当たることは何もないと言われます。このことは私たちにとってショックでした。たったの3回だったとしても、共に礼拝した方でしたから、心の中にどんな悩みを抱えておられたのか、なぜ察してあげることができなかったのか、どうしたら良いのだろうか。途方に暮れる中で、一人の兄弟が、”祈ることから始めよう“と言ったのがきっかけでした。

私たちはこのような時、“話してくれれば良いのに”というのですが、人の心はもっともっと複雑で深いものです。人はむしろ、悩みが深ければ深いほど、沈黙するのです。私たちは“祈りの集い”を開き、一緒に、しかし一人ひとりが定められた御言葉を読み、いや、御言葉を聴き、与えられたところを分かち合い、祈り合うことにしました。御言葉は、自分が置かれている状況の中に響いてきます。それを一人ひとりが聴きます。御言葉は私たちに、慰めを与え、喜びを満たし、あるいは励まし、教え、戒めます。そして与えられたところを分かち合う時、私たちは今度は、他の兄弟姉妹の言葉に耳に傾けることとなります。その中に兄弟姉妹の悩み、願い、慰め、喜びの示しを受け取ります。そして祈り合いに導かれます。御言葉において、神と主イエスの真実を信じ、祈り合いにおいて、私のために祈ってくださる人の真実を信じることができます。」