昨年4月から、瑞穂教会は「聖書日課」を始めました。コロナで会堂礼拝に集まれる人が減って行く中で、「礼拝とは何か?」を問われ、祈りの内に「毎日が礼拝!」という思いが与えられました。1日1章ずつ毎日の聖書箇所と牧師の短いメッセージ、祈りの課題、それに新生讃美歌を1番から順番に歌えるようにしたB5版のものを週報に挟んでいます。オンライン礼拝の方用にPDFでも送っています。7月から聖書通読にチャレンジ。2/22現在、士師記からルツ記に入るところです。聞くところによると、瑞穂教会で聖書通読に取り組んだことは初めてのことらしく、「コロナのおかげ」と何人かの方々は嬉々として取り組んでいます。教会季刊誌において「聖書日課に取り組んでみて」を特集し、数名の方が寄稿してくださったので、上尾教会にも数部お分けします。
毎週の聖書日課作成はもう大分ルーティンになってきましたが、上尾教会の「親子聖書日課」をよく思い起しています。毎日、毎週、毎年。何十年にも亘る聖書通読の取り組みに、作成者(牧師)に対しても、それに取り組む皆さんにも頭が下がる思いです。まだ始めて間もないのですが、今、新しい発想を与えられています。コロナ危機の中で再読する恵みの与えられた1冊に『断片の神学』(関田寛雄著)があります。その中で、礼拝説教の個所(書簡)を、牧師が一人で決めてしまうのではなく、執事会で話し合って決めることにより、神の言葉であり、教会の言葉となる説教をより豊かに体験できたことが記されてありました。「御言葉」に関わることを、牧師と信徒が一から話し合う。本当に豊かです。
瑞穂教会では、2019年度から礼拝の中で子どもメッセージを始め、今年度からは、教会学校奉仕者にも加わってもらいました。「子どもメッセージ」の全体での学びの機会や、個別に「どんな話しをする?」と計画する時間は本当に面白かったです。本日、瑞穂の礼拝宣教を担う執事と一か月前に原稿を見ながら共に準備をしました。「どうしてこの個所にしたのですか?」「誰に届けるイメージでこの言葉を選びましたか?」と問いかけ、応答を重ねる時間は御言葉を聴くことと語ることが一つとなる珠玉の時です。共に準備する中で牧師として、自分の説教も新たに問われ、学ぶ姿勢をいただきます。ですから聖書日課もいつの日か、信徒と牧師が協働して作ってみたら面白いと思っています。上尾教会の「親子聖書日課」のこれからを伺えることも、楽しみにしています。