全信徒祭司として生きる

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「万人祭司」という言葉を聞くことはないか。中世の教会が教職と信徒を二つの身分に分けて、教職だけが聖なる務めであり、他は世俗の業であると考えていたのに対して、宗教改革者たちは、全てのキリスト者は神に召された者として、神に執り成す祭司の使命を与えられた、「万人祭司」(最近は全信徒祭司」と呼ぶ)であると主張した。それは主を信じる者であれば、牧師も信徒も区別なく、祭司の働きを担って、隣人のために執り成しの祈りをし、主の宣教の使命を果たすということである。

その「全信徒祭司」を発展させたのが初期のバプテストである。主を信じる者には、誰であれ、説教と礼典を行う賜物が与えられてきた。受浸後、全ての信徒に按手を授けることで、この全信徒祭司性、全信徒伝道者性を表現した。牧師がしなければならない仕事とか、信徒がしてはいけない仕事はない。説教も牧会も教会全体に与えられた働きであって、様々な人々が担うことによって、教会の働きは豊かに拡がった。

初期のバプテストは、自分たちの群れの中から、指導者として牧師を立て、職務を委託してきた。冬期公開講座で学んだウィリアム・キッフィン(1616年生れ)は手袋職人であったが、忠実な信仰生活を通して、牧師として招かれていく。彼は神学校に行くことはなかったが、聖書研究を欠かすことはなく、自分に対する神の使命を深めていく。「キリストは力を与えてくださったが、会衆主義による聖徒の集まりとしての力である」と述べている。つまり、牧師も一信徒であって、牧師という職務は、特別な身分ではない。「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり」Ⅰコリント3:9と語っているように、牧師と信徒の関係は、あくまでも協働者(パートナー)の関係である。

私たちバプテストは、その役割や職務は異なるが、信徒も牧師と共に、「聖なる祭司」Ⅰペトロ2:5の務めに励み、協働者として歩むことが求められている。「牧師の働きを手助けして」「牧師の手足となって」「牧師を中心として」という言葉を使うことはないか。しかし、信徒は牧師の補助者ではない。信徒も牧師もみな同じ献身者である。教会は、信徒伝道者、信徒説教者、信徒牧会者、を必要としている。特に、財政的に専従の牧師を招ねくことができない、無牧師教会が増える中で、信徒が今まで以上に賜物を生かして教会を担うことが求められている。「信徒一人一人が教会を担う主体であり、一人一人が伝道者であることを再確認する」と連盟の『これからの伝道者養成基本理念にもあるように、「全信徒祭司」として生きることを目指していきたい。