光は闇の中に輝いている

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今年も、街にはイルミネーションに飾られ、クリスマス一色になる。誰かに何かをプレゼントしたくなったり、誰かと一緒に食事したくなったりする。しかし、世の中には「クリスマスどころじゃない」という人もいるだろう。職を失い、住む場所を追われ、ホームレスとなった人たちにとっては、クリスマスは「やかましい鐘」に過ぎないのかもしれない。愛する人を亡くした人、暮らしに不安を抱える人、学校に行けないことに苦しむ子ども、引きこもりの子の将来に不安を覚える親、夢破れた若者、病気に苦しむ人、生きる意味を見出せない人、国の将来に不安を覚える人、これらの人々にとっては「クリスマスどころじゃない」が正直な思いだろう。

しかし、だからこそクリスマスは、「クリスマスどころじゃないという人のところにやってきたのだ」と言いたい。イエスの母マリアは、結婚する前に聖霊によって身重になった。一体誰の子どもなのか。どうして自分たちが救い主の両親に選ばれなければならないのか。慎ましく普通の暮らしを考えていたカップルにはあまりにも過酷な現実だった。皇帝の命令で身重の妻と長旅を強いられた。辿り着いたベツレヘムには居場所はなく家畜小屋で出産する羽目になった。ユダヤの王からはいのちを狙われた。巻き添えを食ったベツレヘム周辺の子どもたちが虐殺され、その親たちはまさにクリスマスどころではなかった。イエスの一家は出産後すぐにエジプトに逃亡することになった。しかし、そんな人々の現実の中に救い主は生まれた。

ヨハネ福音書はその事実を端的に語っている。「光は闇の中に輝いている。闇は光に勝たなかった。」ヨハネ1:5(聖書協会共同訳)。「それどころじゃない」というあなたにクリスマスはやってきた。だから、「メリークリスマス!」と今年も祝うのである。先が見えない不安の中で、この一年も過ぎようとしている。「いつ終わるのか」と祈る思いで過ごしている。「明けない夜はない」と自らを励ますが、夜明けはまだ遠いように思える。しかし聖書は、夜明けを語っていない。「闇が去って光が来る」のではない。「光は闇の中に輝く」のだ。闇は依然としてあり続けているが、その闇のただ中に光はある。私たちは勇気をもって闇を見つめよう。きっと闇の中に光を見出すだろう。それは十字架にいのちを見るように。苦しむ人がいる。悲しむ人がいる。恐れる人がいる。絶望する人がいる。当然、闇を喜ぶことは出来ない。しかし、闇が深いほど私たちはそこに光を見出すことができる、そんなクリスマスを迎えたい。