信仰の継承を目指したい!

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子どもに遺すものがあるとするなら、それは「信仰」である。クリスチャンの親であれば「信仰の継承」を真っ先に願うのではないか。しかし、これが難しい。二世代三世代揃って礼拝を一緒に捧げている家庭が少ないことからもわかる。信仰の継承は、「家庭教育」7割、「教会教育」3割と言われる。それだけ家庭での役割は大きい。

家庭教育はいつから始めたらよいか。それは、お腹にいる時からである。「胎教」と言われるように、子宮の中にいる子どもは外の声が聞こえるので、祈りや賛美は清らかな心をもたらす。そして生まれてからは、抱っこしながら、日々、感謝の祈りや食前の祈りを捧げる。そして、ひらがなが読めるようになれば、子どもに聖書をプレゼントするとよい。我が家では「親子聖書日課」を用いて、夕食後、家庭礼拝を持ったが、子ども達は、最初は一緒に聖書を読めたという喜びを見いだし、次に問題の答えを見つけたという喜びを見いだし、最後は聖書の中身を知る喜びを見いだしていった。

アルフレッド・テニソンは、「聖書を読むことそのことが教育なのである。」と言ったが、本当にそう思う。子どもが聖書に親しむことによって、思考力や判断力が身に付き、歴史にも興味を抱くようになり、何よりも豊かな心が育っていく。子どもにはこんな出来事は知らせたくないという聖書箇所もあるが、子どもなりに受け止め、人間は罪深い者であることを悟っていく。家庭礼拝は、気が向いた時にやろうとしても続かない。むしろ、毎日の習慣になれば、続けられる。たとえ途絶えることがあっても、三日坊主を繰り返せばよい。それによって、また続けることができる。家族で食卓を囲むことが楽しいように、家族で御言葉を聴くことが楽しいひと時になったら素晴らしい。「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」箴言22:6「初め」が肝心である。幼い頃からの霊育が、信仰の継承に繋がる。

教会では、分級や礼拝、祈祷会に子どもと一緒に参加することである。宣教は理解できなくても、御言葉は耳だけではなく、毛穴からでも入っていく。幼小科では毎週、楽しく賛美したり、紙芝居で聖書のお話を聞いたり、工作をしたりしながら、神様がどんなに私たちを深く愛してくださっているか伝えている。また、教会で行う様々な集い、連合や連盟の主催する集いに参加して、友達を作り、楽しい思い出を沢山作っていくことが大切である。我が家の子ども達も小羊会、少年少女会で出会った友達が今でも信仰のよき友となっている。時を生かして、信仰の継承を目指したい。