信仰の継承のために何が必要か

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クリスチャンの親にとって最大の願いは、わが子への信仰の継承ではないだろうか。信仰さえあれば、どんな境遇の中にあっても、喜びと感謝をもって生きていくことができるからだ。しかし、信仰の継承ほど難しいものはないことを私たちは経験する。たとえ受浸したとしても、生涯信仰生活を全うする子どもは少ないからだ。

アシュラムで奉仕してくださった山下萬里先生が、『信仰は教えこむことも、譲り渡すこともできません。私たちは、これが信仰だと思っているものを、自分で持っていると考えます。そこで「信仰のことは、私が教えてあげます」などと言うのです。しかし、どんなに偉い牧師であれ、先輩であれ、教えることのできるのは、知識であって、信仰ではありません。又、この信仰だけが私の財産だからこれを譲りたいと言っても、そうすることはできないのです。ですから、信仰者の子どもは必ず、信仰者になるとは限りません。私は、「子どもを信仰に導くことができなかったから、私の信仰は駄目なんだ」と落ち込んでいる人に、「そんなに落ち込んだりしなくてもよいのです」と申し上げたいのです。信仰は、主イエス・キリストから与えられるものです。ですから、問題は、私たちが主イエス・キリストに出会っているかどうかです。又、出会いの機会を備えることが大事なのです。』と語られたことに励まされる。

本日の「子ども礼拝」は、まさに子どもに主との出会いの機会を備えることである。主のために、司会や奏楽や祈りの奉仕をすることによって、緊張感は伴うだろうが、主は子どもたちの心に「よくやったね」と語りかけてくださるだろう。

上尾教会には、信仰の継承のために「親子聖書日課」という良いテキストがある。我が家でも5人の子どもたちと一緒に、聖書日課に親しんできた。子どもたちは、最初は一緒に聖書を読めたという喜びを見いだし、次に問題の答えを見つけたという喜びを見いだし、最後は聖書それ自体の中身を知る喜びを見いだしていった。子どもにはこんな出来事は知らせたくないという聖書箇所はいくつもあるが、子どもなりに受け止め、人間は罪深い者であることを悟っていった。

アルフレッド・テニソンは、「聖書を読むことそのことが教育なのである。」と言いったが、本当にそうだと思う。子どもたちが聖書に親しむことによって、思考力や判断力が身に付き、歴史にも興味を抱くようになり、何よりも豊かな心が育っていくのである。家族で食卓を囲むことが楽しいように、家族で御言葉を聴くことは楽しいひと時である。その醍醐味を味わいたい。さぁ「親子聖書日課」を始めてみよう!