「会堂は20年経ったのです」と地域に方に伝えると、「古さを全然感じさせないですね」と言われて嬉しくなった。旧会堂は外壁のペンキが剥げて、古さが目立っていたのに比べ、タイル張りの現会堂は色あせることなく、よい風情を醸し出している。四方から見える十字架の塔は、シンボリックな存在となっている。タクシーの運転手が、行く先を「教会」と聞いただけで、私たちの教会に連れて来られることが多い。「赤信号、十字架見上げて、教会へ」という方が、一人でも多く起こされることを願う。
上尾教会に来られた方からは、「会堂は中は、こんなに広いのですね」と驚かれることが多い。外見から見るよりもはるかに広いと感じるようだ。それは天井の高さに寄るところが大きいが、サイドルームの間仕切りを開くと、ワンルームになるからである。普通、建物には各部屋を仕切る廊下の部分があるが、上尾教会にはない。沢山の方と礼拝を捧げられるように、空間を広く取るために、徹底的に無駄な部分を省いた。もう少し押入れがあればと思えるほど、空間を広く取ることに拘った。その甲斐があってか、結婚式や葬儀式、コンサート等で150名位は対応できる。又、バリアフリーの面で、一階に全ての機能を配置したことがよかった。20年経って、歩行器や杖を使って移動される高齢者が増えてきた。段差や階段が一ヶ所でもあれば、不便である。二階の畳の部屋は、子供の分級やお泊り会に役立っている。
丁度、台風19号の時、牧師家は教会に避難した。昨年の台風の時、牧師館の屋根が飛ばされ、建物が揺れて、不安な一夜を過ごしたからである。教会は、全く揺れることもなく、台風の音も気にならないほどであった。会堂を建てる時に、大震災が起きても教会は最後まで建ち続けるようにと、地下25mの岩盤まで12本の杭を打った。その杭の上に会堂は建っているので、揺れを感じないのである。災害時の自主避難所として、教会員や地域の方にも利用していただける会堂である。
今後、会堂が益々用いられることを願っている。家庭にも社会にも自分の居場所が見つからず、心の拠り所を求めている人は多い。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」マタイ11:28と言われた主は、そのような人々を教会へと招かれている。教会こそ、魂の安らぎの場所である。その魂の安らぎの場所として、一緒に礼拝を捧げ、一緒に祈りを捧げていきたい。又、平日も地域の方々の心の拠り所として、会堂を用いて、様々なことに取り組んでいきたい。