「万軍の主はこう言われる。再び、エルサレムの広場には 年老いた男女が座り 長寿のゆえに、それぞれ手に杖を持つ。」ゼカリア書8:4(聖書協会共同訳)
今、上尾教会の礼拝は、このみ言葉が成就している。ゼカリアはエルサレムの広場には年老いた男女が杖を手にして座っている姿こそ、神が平和の礎とし、エルサレムの再興の希望だと語る。それは、50年以上に亙るバビロン捕囚から解放され、故国に帰還したユダヤ人たちが年老いても破壊されたエルサレムの再興を図ったからだ。
先週、久保内京さんから戦時下のなまなましい体験をお聞きした。昼夜を問わず空襲警報が鳴りひびき、焼夷弾が雨のごとく降り、火災によって辺り一面が焼き尽くされ、死体が散乱する中を逃げ迷った経験は、80年近く経っても、心の中に大きな傷となって残っておられた。私たちにとって、夏空を彩る花火も、京さんにとっては、焼夷弾のようで、花火を楽しむ気持ちにはなれないと言われた。「命も生活も奪う戦争は絶対にしてはならない」と言われた京さんの言葉を、しっかりと受け止めたい。
百歳を超えても医師を続けられた日野原重明さんがインタビューで、「⾦が全てという風潮。豊かになれば感性が鈍り感謝の気持ちを忘れてしまう。」と豊かになりすぎた日本人に懸念を示し、又、チャレンジ精神が薄れてしまった若者たちには、「アフリカや難⺠キャンプなどモノのない所で1年間生活してみたらどうだろう。安定ばかりでなく、いろんな体験が必要だ。」と語っていた。他者の命や生活を思いやり、そのために行動してこそ、自分の命や生活が豊かにされていくのだと言われた。
その指摘は、若者だけではない。老人はだんだんと視野が狭くなり、自分の命や生活のことだけに関心を払ってはいないか。日野原重明さんは「老いるタイプ」に三つの型があると言われた。一つは「抵抗型」まだ若いと言い張り、老いを受け入れようとしないタイプ。二つ目は「不平不満型」思うようにならないのを他人のせいにし文句ばかり言うタイプ。三番目が「自己嫌悪型」失敗を引きずり、その責任を自分自身のせいにし、老いるに従ってうつ的になるタイプ。これらのタイプは、周りの人に嫌われ、邪魔者、余計者とされ、居場所がなくなるだけである。日野原重明さんは「老いない」ために第四のタイプを勧める。それは「自分を肯定して受け入れ、他人を責めず、過去を悔やまず、日頃の人間関係に満足するしなやか型」であると言われた。そういう人になるために、「平和の礎」として、毎週の礼拝で座して祈りを捧げたい。