西日本の広い範囲を襲った豪雨によって、様々な地域に甚大な被害が出ている。家族や家を失った方々、避難所での生活を送らざるを得ない方々の悲しみと不安に思いを寄せ、主の慰めと支えを心から祈りたい。また、中四国連合内の教会においても被害が出ている。愛媛の八幡浜教会は床上浸水、雨漏り、クーラー室外機破損、高知伊勢崎教会・岡山教会は雨漏り、福山教会は床下浸水、呉教会は雨漏れと道が分断され、移動がままならないとのこと。教会が復旧され、安心して礼拝が捧げられるよう、心から祈りたい。また、私たちにできる支援をしていきたい。
上尾教会が建つ三井住宅は、水害の被害は想定しなくてもよいと防災講演会で伺った。しかし、大地震には今から備えておく必要がある。三井住宅では、東日本大震災以後、自主防災会を立ちあげ、秋山純子さんが委員として当初から関わっている。災害が起きた時は、「自助・共助・公助」の連携が大事であるが、その中でも特に、「共助(近所)」が、いざという時は大きな力を発揮する。そのためには、日頃から、ご近所の方と顔を合わせ、声を掛け合っておくことが大切である。ご近所の方に「大丈夫ですか?」と声をかけ、安否確認をする、これを日頃の防災訓練でも行うようになったので、ご近所の方と親しくなったことは確かである。そんな中で、「何かあった時は、頑丈な上尾教会に避難してよいかしら」という声を聞くようになったり、「教会の駐車場が足りない」と話すと、「うちの駐車場を使ってください」と提供してくださる方が現れたり、ご近所の方に親しまれる教会になってきたと思う。
「教会が教会であるのは、それが他者のために存在する時だ。」と語っていたボンヘッファーの言葉を思い出す。しかし同時に、ある画家が現代の教会を風刺して描いた、「教会の周りは火の海となって、人々が苦しみ悶えて死んでいっているのに、教会の中にいる人々は、まったく気にも留めず、自分たちだけで楽しんでいる。」そんな絵を思い出す。私たちの教会はどうだろうか。自分たちのことだけに関心を払ってはいないだろうか。今年度の聖句「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。ルカによる福音書10章27節」を毎週の礼拝で唱えているが、私たちはどれほど「主を愛し、また、隣人を自分のように愛しているだろうか。」悲しんでいる人、苦しんでいる人、傷ついている人、が私たちの周りにもたくさんおられる。他者のために存在する教会に私たちもなりたい。