自然に四季があるように、人生にも四季がある。すべてが新しく芽生える春のように、すべてがうっそうと茂る夏のように、すべてが豊かに実る秋のように、すべてが深く眠る冬のように、私たちの人生にも四季がある。スイス人の医師ポール・トゥルニエによると、春は20歳まで、夏は40歳まで、秋は60歳まで、冬はそれ以後だと言う。しかし、現代は人生100年時代を迎えているので、春は20歳まで、夏は50歳まで、秋は80歳まで、冬はそれ以後だと呼んでもよいと思う。
春は、人生の準備段階である。この春の時期に充分準備段階を経た人は、夏を謳歌することができる。夏は、活動の時期である。自立して何でもすることができる時期、失敗したり喜んだり、挫折して苦しんだり、それが夏の時期である。秋は、収穫の時期である。春と夏を経て、様々なことを成し遂げ、自分の人生の使命を果たす時期である。冬は、成熟の時期、人生の総括の時期である。それまでの人生を総括して、いぶし銀のような人生の実を結び、多くの人に分け与えることができる時期である。
人生のそれぞれの時期を、ふさわしく過ごすことができたら幸いである。しかし、私たちはなかなかそのように歩むことができない。例えば、春(子供)の時期、充分な信頼関係や愛・優しさを学ぶことができなかった場合、希薄な人間関係が身についてしまい、自分がどういう人間かも分からなくなってしまう。その結果として、夏の時期になっても、伸び伸びと活動することができない。「もっと元気を出しなさい」とか「若いんだから」などと言われても、その力がでないので、苦しくなるだけである。
この時期に得るべき力を得ないままに、その年代を通り過ぎて来てしまったとしたら、どうしたら良いのか。たとえ春の時期に充分な愛を受けることができなかったとしても、「わたしの目にあなたは価高く、貴く」イザヤ43:4と言われた神の愛を頂くことによって、神は私たちの内に欠けていた春を、夏、秋を再現してくださり、どの時期にあっても、いぶし銀のように輝く人生をもたらしてくださるのである。ある人は「老年とは喪失の時代だ」と言う。確かに、体力を失い、職を失い、収入を失い、楽しみを失い、妻や夫まで失って、最後には自分の命まで失う。しかし、ポール・トゥルニエは、「冬は終わりではなくて、春から始めて来た多くの養分が蓄えられて、たくさんの永遠の実を結び、完成される時であり、それが老境の時である。」と言う。主を信じる者にとっては、冬は喪失で終わらない。「たくさんの永遠の実を結ぶ」希望の時である。