人生には居場所がある

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“今日から逃れられないのに、心は昨日へ行きたがる、そわそわ明日へも行きたがる、今日は仮の宿なのだろうか。ここから逃れられないのに、心はここから出て行きたがる、どこか違う所へ行きたがる、行けばそこもここになるのに。宇宙の太陽に漂う、小さな小さなプランクトン、自分の居場所も分からずに、心はうろうろおろおろ迷子です。”谷川俊太郎

この詩のように、「自分にはどこにも居場所がない」と悩んでいる人に出会う。家庭に居場所がない、学校に居場所がない、職場に居場所がない・・・この社会のどこにも居場所がないという。それは、自分が誰からも必要とされていない、誰からも認められていない、誰からも愛されていない、別の言い方をすれば、誰とも繋がっておらず、どこにも属していない、と言うことである。そんな思いを感じる時、私たちは自分が安心して居られる居場所がどこにもないように感じるのではないか。

誰にとっても自分の「居場所」が必要である。人と一緒にいても自分だけ居場所がないと感じる時の寂しさ、惨めさほど辛いものはない。だから、人は自分の居場所にとても敏感で、闇の中をさ迷うように、自分の居場所を探し、自分の存在を受け止めてもらえる居場所を求めて生きている。「あなたは大事な存在なのだ」「あなたが必要なのだ」と、ありのままを受け入れくれる、そんな居場所を求めている。

主イエスは、「居場所のない人」だった。ローマの皇帝の人口調査の勅令のために、マリアとヨセフがベツレヘムに来てみると、「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」ルカ2:7更に、ヘロデ王の迫害を恐れて、エジプトへ避難しなければならなかった。イエスは「ホームレス」となり、「難民」となった。神の御子であるイエスは自らこの地上に生きて、「居場所のない人」になられた。イエス自ら、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」ルカ9:58と言われた。それは、イエスご自身が、「居場所のない人」を救い、助けるためであった。そして、「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」ヨハネ14:2と、すでに居場所を用意してくださったのである。

私たちもまた、主イエスに倣って、「居場所のない人」となり、「居場所のない人」のために生きる歩みを指し示されている。主イエスにこそ、私たちの魂の居場所、人生の居場所があると、周りの人々に伝えるクリスマスにしたいものである。