本日(6月第2主日)は、日本バプテスト連盟医療団の「病院デー」である。京都にあるバプテスト病院、看護学校、老人保健施設、居宅介護支援事業、訪問看護ステーションの働きを覚えて、1953年連盟の年次総会において設けられた日で、それから60年以上に亘って、多くの祈りによって支えられてきた。「病院デー」の基本理念は、「全人医療」で、「人間は体と、心と、魂からなる全人格的な存在です。当病院は、イエス・キリストの隣人愛に基づき、全職員がよいチームワークを保ち、専門的知識と技術を生かして、全人医療の業に専念します」と謳っている。その理念に立って患者一人一人を診るので、診療時間は長くなり、患者からすれば、とてもよい病院である。
こんな病院がわが町にもあったら、どれほどよいだろうか。患者が病んでいるのは、体だけではない。よくならない病気に、心も魂も病んでしまうことが多いのではないか。患者は医者に自分の症状を聞いてもらいたい、又、慰めや励ましの言葉をかけてもらいたい。ただ「お薬を出しておきましょう」では、癒された気持ちにはなれない。日野原重明先生が、「医師は患者の患部だけを診るのではなく、人間としての患者全体を診る、更に患者を取り囲む家族も含めて診る必要がある」と説いておられた通りである。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」マタイ9:13という主イエスの言葉を思い出す。主は「心(魂)の医者」として、罪に病む体と心と魂を癒して下さる。しかし、罪人を招くために来られた主の下に行かないで、自己診断してしまうことはないか。自分が熱心に努力すれば、罪はなくなると。しかし、私達は自分で自分の病気を治せないように、自分の熱心さや努力で救いに与り、信仰者として生きていくことはできない。私達に罪の赦しを与え、信仰者として生かして下さるのは、神の憐れみである。
私達がどんなに立派な正しいいけにえを捧げるかということではなく、神の憐れみこそが私達を救う。そのことを「行って、学べ」と主は言われる。自分の熱心や努力、自分はこれだけのことをしてきた、という思いの中に座り込むのでなく、そこから立ち上がって、罪人を招いて下さる主の下へ行くことである。それは、主を信じ、バプテスマを受けることである。そのことによって私達は、罪人を招くために来られた主の恵みをみ言葉によって学びつつ、健全な信仰者として歩んでいくことができる。