主を賛美するために民は創造された

Home / 週報巻頭言 / 主を賛美するために民は創造された

「後の世代のために、このことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』詩編102:19。主を賛美すること、これが私達が創造された目的であるという。アウグスティヌスは、「人間はあなた(神)に向けて創られました。人間は、小さいながらも被造物の一つとして、あなたを讃えようとするのです。喜んで、讃えずにはいられない気持にかきたてる者、それはあなたです。あなたは私達を、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私達の心は、あなたの内に憩うまで、安らぎを得ることができないのです」と語る。

神は私達を無理やり神の方に向けさせるわけではないので、神を賛美しない生き方は起こる。「私達は舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです」ヤコブ3:9。私達は毎週、礼拝で主を賛美する。主に救われた喜び、感謝を、賛美に込め、祈りに込めて言い表す。けれども、その同じ口で、人の悪口を言い、非難し、呪うことがあるのではないか。では、私達はどうしたら良いのか?語らなければ良いのか?そうではない。私達は実際、多くの人に大目に見てもらい、忍耐してもらい、赦されながら語っている。そして、究極的には天の父である神に赦されながら語っている。赦されなければ語れない存在、赦されなければ生きられない存在、それが私達である。その事を忘れないで、主への感謝を賛美し、人を慰め、励まし、向上させる言葉を発することに心掛けたい。

私達は、何か大きな事をするために造られたのでも、何か立派な事をするために造られたのでもない。勿論、世のため人のためになることができればそれに越したことはないが、しかしどう頑張っても、失敗ばかりし、人様の役に立つようなことが何もできない自分を発見し、そんな自分に落胆することがあるのではないだろうか。

しかしそんな私達に、聖書は、『主を賛美するために民は創造された』と語る。この賛美を、「礼拝」と言い換えてもよい。「主を礼拝するために私達は創造された」これは大きな慰めであり、励ましである。私達が心から主を礼拝するならば、主が私達をお造りになった目的が果たされるのである。毎週、教会に集って礼拝する人は、この社会の中では少数派であるが故に、中傷され、肩身の狭さを感じることもあるだろう。しかし、神は全ての人が主を礼拝するようになることを願っておられる。ですから、自分だけが礼拝を捧げていることに満足してはならない。全ての人が一緒に礼拝を捧げる日の来ることを期待して、来週の「賛美礼拝」にもお誘いしたい。