主の愛の深さに気づくクリスマス

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今年は降誕劇の練習がないのは、何とも寂しいと思っていたが、先週礼拝後、子供たちと数名の大人が降誕劇の衣装を身にまとって、写真撮影していた。今年は、24日のキャンドルサービスの時に、映像になって登場するようで、今から楽しみである。
今、アドベントの2週目を迎えた。日本語では「主の降誕を待ち望む」ことだが、元々アドベントは「到来」を意味する。その到来は、二重の意味がある。2千年前に主イエスが世に来られたこと、そして、再臨の時、栄光の内に来られることである。「もろびとこぞりて」の賛美の中で、「主は来ませリ、主は来ませリ、主は、主は来ませリ」と繰り返すが、「主よ、来てください、来てください」という切実な叫びが、私たちの中にもある。
コロナの影響で、健康を害している人、経済的な打撃を受けている人、仕事を失った人、孤立してしまう人、自死にまで追い込まれてしまう人・・救いを切実に必要としている人が世界中にいる。又、戦争やテロ、人権侵害や差別、暴力やハラスメント、貧困や飢餓に苦しんでいる人がいる。「主よ、来てください、主よ、助けてください」と、神が苦しむ人たちに救いを与えてくださいと、私たちは祈らずにはいられない。
しかし、一方で、「主はもう来られた」ということも確かである。救い主を待ち望んでいるだけではない。私たちの救い主は、もう2千年も前に来られている。これこそキリスト教の確信である。私たちはそのことを、アドベントから祝うのである。私たちは今、救われていない部分、救い主を必死に待ち望んでいる部分と、もうすでに救い主に出会って救われている部分、その両方がある。その両方を味わうのである。
主イエスの生涯は、アドベントのローソクに似ている。光を輝かせるために、ローソクは段々短くなっていく。身を削って輝くローソクのように、イエス・キリストも私たちを罪と死から救うために、命を削られて、十字架の道を歩まれたのである。
「光は闇の中に輝いている。闇は光に勝たなかった。」ヨハネ1:5(聖書協会共同訳)。闇が暗ければ暗いほど、光が輝いていることがよくわかる。今年は、世界中が暗闇でクリスマスを迎えている。しかし、その闇の中にも、真の光であるイエス・キリストが到来されるのである。「イエスキリストが今私の心に生まれた、その愛の深さに気づくこのクリスマス」という素敵な賛美があるが、クリスマスを単に祝うだけではなく、是非、自分の心に救い主としてお迎えして、主を信じ、主の深い愛を受け取って頂きたい。