私に今、与えられている奉仕は、友愛チーム(車での送迎)、伝道委員、会堂掃除(年4回)、雑草取り、礼拝時の受付(第4週)です。大変なのは、雑草取りです。夏の暑さ、冬の寒さ、雨の日など、天候に左右されます。始めるにあたり、継続できるか不安がありました。なんとか10年以上続けることができている恵みに、感謝です。
『主の忠実な管理者として』の教本から学びました。
私たちクリスチャンは教会員として、主に対する務めを果たす責任を持っています。「奉仕」などに気が乗らないこともあるでしょう。しかし、責任として、自分を強いてしなければなりません。私たちは、キリストの体の肢体です。もし、責任をないがしろにすれば、他の肢体(教会員)に負担をかけてしまいます。そのために、他の肢体に傷を負わせることさえあるのです。責任感も、御言葉をよって育まれます。なぜなら、責任を果たすことは、共に働く者に対する愛の行為だからです。
忘れてはならないことは、私たちが神によって選ばれたとするならば、その選ばれたことに対する責任は非常に大きい。選ばれた者は、選ばれなかった者以上に、きびしく問われる存在なのである。そして、選ばれたのは、神に「仕える」ために選ばれたのである。神の恵みを、福音を、地の果てまで宣べ伝えるために、選ばれたのである。そういう器として選ばれたのである。
主イエスは「明日のことを思い煩うな」と言われた。それは、明日は明日の風が吹くので、その場限りの生活をせよ、と言われたのではない。明日は、神のものだから、それは神に「委ねて」、むしろ、今日与えられた使命にしっかりと立って生きていく、それが大事だということである。
「主日礼拝」「祈祷会」を優先して、神にささげ、隣人に「奉仕」することへと広げる生活設計を立てましょう。
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」マタイによる福音書6:34