主の山に備えあり       教会員

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「あなたの賜物はなんですか。」と聞かれたら何と答えますか?才能と賜物は違います。が、人よりも秀でて出来ること、という思い込みから抜け出せず、私は答えることができませんでした。それは、神様に「私は何もいただいていません」と文句を言っているようなものです。

時々、アンケート等で「特技・趣味」の記入欄があります。私には非常に厄介な難問で、仕方なく「読書」と書きます。でも、人の役に立つものでもないし、自分の楽しみとだけ思っていました。

本は子供の頃から好きでした。遊びと読書のどちらも捨てがたく、時間確保のため下校時に歩き読みをしたこともあります。転校続きだったので、それぞれの図書室や図書館は、顔馴染みの本が待つ落ち着ける空間でした。親になり、子供たちが小学生のころ読み聞かせボランティアを続けられたのは、本に親しむ楽しさを経験したことによります。神様からの大きなプレゼントです。

今、私は教会学校のリーダーをしています。毎週末に、分級での静聴と分かち合いのために、祈りながら準備をします。絵など図工的なことが苦手で、そのジャンルの準備となると、どこから手を付けていいか分かりません。ところが聖書や資料を取り出し、読み始めることは苦にならないので、(理解力・読解力はさておいて)疲れていても始められます。内容がなかなか頭に入らず、寝落ちする時もありますが、クラスのメンバーに祈られて、準備が守られています。自分の努力やがんばりではないものに支えられた歩みです。賜物とは、神様の働きに参与させていただくために与えられた力や備えだと、改めて思わされました。人と比べてしまったら小さく平凡なことですが、大きな恵みです。しっかり受け取って、用いられるように祈ります。

もちろん葛藤や、信仰の戦いを伴うスチュワードシップも多くあります。自分の弱さに目がいき、ためらうことがあります。けれども、主の備えと恵みに気付く時に励ましを受け、感謝で満たされます。そこから力をいただいて、また次の「神様からの恵みへの応答」を始めていきたいと思います。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハネによる福音書15:5