主の十字架は何のため?

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受難週を迎えたが、主イエス・キリストは何のために十字架にかかられたのか。それは私たちの罪を贖うためであると共に、私たちを神と和解させ、人と人とを和解させるためであった。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊されました。」エフェソ2:14。

主が二つの壁を取り壊されたという。この二つの壁は容易に壊されないものである。なぜなら、二つの間には「敵意という隔ての壁」がそそり立っているからである。なぜ、「敵意という隔ての壁」がそそり立っているのか。それは、両者が共に自分たちが正しい、相手が間違っていると主張するからである。その場合には、両者の間には和解というものはなく、相手を攻撃する。それは、国同士や民族間に生じている壁であるが、その壁は私たちの日常的な歩みにもそそり立っている。私たちが、人との関係においてお互いに受け入れることができない時、両者の間に深い断絶がある。

その断絶と壁を主は御自分の肉において取り壊し、二つのものを一つにされた。「御自分の肉において」とは、どのようなことか、16節を見ると「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」とある。敵対する両者が、主によって、神と和解することによって、平和を得ることができる。平和が実現するのは、対立する人間同士の間で折り合いをつけ、妥協点を探り、合意することによってではない。先ず神と和解し、自分の罪の赦しを求めていくことこそが、真の和解と平和への道である。言い換えると、主ご自身が、互いに自分たちの正当性を主張していて譲らず、相手を非難している真っただ中で、十字架にかかって、両者の深い傷を癒してくださったのである。「彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」イザヤ53:5

互いの正しさを主張して譲らない時、お互いに相手から傷を負い、深い痛みを感じる。その痛みを主ご自身が負い、和解の出来事を起こしてくださった。それが、主の十字架であった。そのことが分かる時、私たちの深い傷が癒されて、敵対する相手をも受け入れることができる。それは、すぐにはできないと思うことかもしれない。それでも私たちは、主がご自分の命を犠牲にして神と私たちの和解をもたらしてくださった、その歩みに倣って、敵意を乗り越え、平和を築いていくための道を歩み続けたい。「キリストこそ私たちの平和」そこに私たちの歩みを支える希望がある。