主のところに連れていく

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親にとっても、教会にとっても、信仰の継承は切なる願いである。主の救いにあずかり、一緒に御国に行って欲しいからである。しかし、信仰の継承がなかなかうまくいかないことも事実である。「小さい頃は教会に連れて来ていたのに、今ではすっかり行かなくなりました。」と嘆く親のなんと多いことか。信仰の継承がスムーズにいっていたら、日本のクリスチャン人口は増え、教会はもっと成長したであろう。では、なぜ信仰の継承がうまくいかなかったのか。そのヒントは次の主の言葉にある。

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」マルコ10:14。子供たちが近くに来ることを主は強く望まれた。子供たちは主に近づくことで、主から直接教えを受け、信仰が育まれる。私たちの思いで、子供の信仰が育つのではない。ひたすら主に触れることができる環境を作ってあげれば、あとは主が計らってくださる。「子供たちをわたしのところに来させない。」とは、「私が責任をもって子供の信仰を育みます。」との主の強い決意の表れである。

そのために必要なことは何か?それは「共にいる」「共にする」「共にあずかる」ことである。「共にいる」とは、礼拝、祈祷会、教会の交わりの場に共にいること。時々、子供がいたのではゆっくりと御言葉も聞けないので、子供は家においてきましたという方がいるが、これでは子供の信仰は育たない。「共にする」奉仕や献金、伝道を共にする。教会の掃除、チラシ配り、募金など、一緒に奉仕することによって、「神と人に仕える」ことが身につく。「共にあずかる」福音のすばらしさを一緒に味わう。「親子聖書日課」で霊の糧を日々共にいただき、祈り合うなら、「共育」されるだろう。

「子供たちをわたしのところに来させなさい。」のあとにある「妨げてはならない。」という言葉にも注目したい。私たちは様々な障害物をそのまま放置して、子供が主のところに来る環境を悪くしているのではないか。例えば、子供が部活や習い事、受験勉強で疲れているから、礼拝を休ませようとする。それが親の配慮だと思っているとしたら、大間違いである。むしろ、子供たちが主に触れる機会を沢山作ることが、私たちのすべきことである。現代は、子供も忙しく、疲れ、病んでいる時代である。子供たちに、神がおられ、神から愛されていることをしっかり伝えていくなら、子供たちはその愛に気づき、神に仕える人になるのではないか。どんな時にも、子供たちを主のところに連れていく、それが親の務めであり、教会の務めである。