主につながって生きる群れ  

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聖書日課で、ヨハネ福音書から御言葉を聴いてきたが、その中でわたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」ヨハネ15:5という主の言葉が、私の心に深く残った。

私たちは「枝」として主というぶどう木につながる時に、主から命や愛、恵みや祝福を頂いて、豊かな実を結ぶことができる。主と私たちとの関係は、木と枝という深いつながりの中にあるが、その関係に安住せず、積極的に「主につながっていなさい」と主は言われた。私たちが豊かな実をつけるには、日々、主につながっていることが求められている。辛い時、悲しい時、試練の中にある時、絶望の淵にある時、いかなる時も主から離れず、御言葉に聴従して、主につながっていることである。

では「主につながる」とはどういことか。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」同15:9、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」同15:12、と教えられたように、主につながるとは、主の愛に留まり、その愛によって互いに愛し合うことである。もちろん、私たちは罪人であり、自分の力では愛することはできない。ここで主は、驚くべきことにご自分の方から「わたしもあなたがたにつながっている。」同15:4と言われた。主が私たちにつながっていてくださるからこそ、私たちも主につながることができる。だからこそ、主の愛に留まり、互いに愛し合うことができるのである。

上尾教会は、「主につながって生きる群れ」であることを最近つくづくと感じている。高齢化が進み、自分の足で礼拝に来ることが難しくなってきている人も多い。そこで、送迎をしたり、訪問をしたりしながら、支え合う交わりが生まれている。又、コロナの影響もあって、施設や病院におられる方は、教会に来ることができない。そこで、礼拝をライブ配信し、又、ラインで励まし合っている。それも個人ではなく、チームで支え合っている。互いに愛し合うということは、互いに仕え合うことであるが、それが上尾教会の中で実践されていることは嬉しい。この主の愛の業は、教会の外にいる人々まで広がっている。世のすべての人が主の救いの対象であり、神の愛の対象である。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」ヨハネ3:16。「主につながって生きる群れ」として、主の愛を証していきたい。