主と共に歩む          教会員

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上尾教会の今年度の主題は「主と共に歩む」、皆さんはどんな時それを意識するでしょうか。「常に安心して眠れるのも、立って歩けるのだって、神様が伴ってくださるから」そうおっしゃる皆さんの声が聞こえるようです。しかし私はと言うと、そうでもありません。一日の始まりや出かける時、奉仕の前などには、神の助け、守りを求めて祈り、実際そうした後には、神の助けの手もあったと恵みを数え、感謝が溢れるのですが、それは一瞬。忘れている時間の方が大半で、気がつけば恥ずかしいばかりです。日常の営みになると、すっかり自分でやっているつもりです。

けれども昨今、外出するでもなく、奉仕に出るわけでもないのに、家の中で、いつも何度でも、主の名を呼びます。大きな変化が起きたのです。一ヶ月前、教会の近くの小敷谷に引っ越して来ました。牧師ご夫妻が訪問してくださり、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ルカ19:5というイエス様の御言葉を読んで、お祈りしてくださいました。ここは、いろいろ悪い事をしていたザアカイが、彼の名前もすでにご存じだったイエス様に、すべてを明け渡し、悔い改めて、喜びに溢れ、自分の家にお迎えしたのだ、と思いました。

「右も、左もわからない」それは本来の意味という次元ではありません。私にとっては物理的にも、実際そういう状態なのです。「神様、一緒に歩いて、導いてくださると信じます。ゴミを捨てに行きます。集積所の網を発見できますように、ここに戻って来れますように」そして、なんとか戻って来て鍵を出し、果たして自分の家か、どうでしょう。ずぼずぼっと鍵は入って行きました。「神様、ありがとうございます」そんな独り言をいう人だと、誰かに思われているかもしれません。

またコロナで束縛感を覚える中、日々の歩みを主に委ねて、恵み、祝福を豊かに頂いているのを実感することが他にもあります。それは毎月の第一礼拝は、私が奏楽を担当しています。また娘や孫も頻繁に主の御用があって、皆さんが祈ってくださる事。私たち家族も祈り合い、誰かの奉仕の妨げにならないよう、前日から娘の家に宿泊して皆で来る時、それは感謝です。今しばらく、主の守りを信じ、しかしながら私たちも怠惰があってはなりません。主日は引き続き気を引き締めて、リバウンド防止を心がけ、霊と真とをもって礼拝し、第一週は皆さんにご理解とご協力、そして若干のご辛抱を頂きますが、一緒に心からの賛美を捧げてまいりましょう。