「東京バプテスト神学校デー」の時に、奈良教会の松原宏樹牧師の講演を伺い、命について深く考えさせられた。松原先生はNPO「みぎわ」を立ち上げて、家庭で暮らすことのできない子供の特別養子縁組を紹介し、ご自身の家庭でもダウン症と心臓に疾患のある一歳に満たない子供を育てておられる。先生がどうしてそのような思いに至ったのか。それは、日本で一年間に人口中絶数は、厚労省の統計では約20万人であるが、中絶の薬の量を考えると、その三倍の60万人、いや100万人とも言われている。2018年の出生数は91万人であることを考えると、約半数の子供の命が失われていることになる。出生前診断で、お腹の中の子供が障がいがあるかもしれないと診断された妊婦の90%が中絶を望む。その事を知った松原先生は、居ても立ってもいられなくなって、ドクターに「もう殺さないでください。私たちがなんとかしますから。」そう言って、子供の命を救う働きを続けてこられた。
今日、事故や事件で幼い命が失われる度に大きく報道される。どうしてその命が守れなかったのか、誰の責任か、大きく問われる。それほど命は大切なものである。しかし、お腹の中にいる子供に関しては、ただ親が望まなかっというだけで、合法的に殺されている。親の責任が大きく問われることもない。まさに日本は、「中絶大国」である。今日「少子化少子化」と叫ばれているが、実は、子供が生きる権利を奪われ、闇に葬られているのであって、少子化に至る原因がここにあるのではないか。
子供の命を軽く見るような日本の現状を主はどのようにご覧になるのだろうか。きっと憤りと深い悲しみを持っておられるに違いない。主は子供を退けられるどころか、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。」マルコ10:14と言われ、「そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」のである。そんな豊かな祝福を、主の方から子供たちを抱き上げて、与えてくださったのである。主は子供たちの人生を祝福しようと願っておられるのに、親の都合で妨げてはならない。
松原先生は、「神様はこの子を愛して、この子の人生に意味があるとおっしゃる。これに気づけるのはクリスチャンしかいないと思う。実は、聖書に“いと小さき者の一人にしたのは、わたしにしたのである。”と言われるように、主はそこにおられると、思われてならないのです。この働きを私たちは、これからも続けていきたいのです。」と言われた。誰の命も神の目から見るなら高価で尊いのである。私たちは、与えられた命を大切にしたい。