スチュワードシップ月間の恵み   教会員

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スチュワードシップ月間には「神の同労者」という本を用いて読んだり考えたり、証を聞き合ったりして、クリスチャン生活について学んでいますが、スチュワード(「管理者」の意味)という言葉は日常ではほとんど意識しないで来ているので、テキストの「神の同労者」の内容を大まかにまとめてみました。三つのことが書かれていると思います。

①イエス様によって罪から救われたわたしたちは、教会に召し集められ、神の奥義(「福音」)の管理者として、主に忠実に仕え、神と共に、神の同労者として生活していきます。

②キリストの体なる教会を建てあげるために、一人一人はキリストの体の一部分として召され、与えられている時間、体、賜物、献金などを用いて仕えていきます。そして、与えられる賜物の最高のものは愛です。キリストの体として一つになるように愛し合い、赦し合い、互いに仕え合います。

③各個教会は独立していますが、自分の教会ばかりでなく連盟の諸教会と、相互に協力伝道を通してつながり、主と共に、「神の同労者」として福音を伝えていきます。

やはり、自分にはどんな賜物が与えられているのかは気になります。聖書では、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(Ⅰコリント12:27)とあり、霊は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。」(同 12:11)、「そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」(同 12:18)

賜物は、霊の望むまま、神御自身の望むままに与えられ、私の思うように与えられるものではないものなのだと、最近祈祷会で学んで気が付きました。

賜物については「これだ!」と思うことのないまま、長い間同じ奉仕に携わってきました。「なぜ一体、私のできないことばかりしているのだろう?」とか「苦手な部分だけどしてしまう!」勿論、結果として喜びがいつも伴いました。行き詰まって絞り出した意見や、それ以外に後がないアイディアや、最高に苦手な部分を差し出してやむにやまれず進んだ時に、それらが用いられた感じも受けました。神様の賜物は、私の思いとは反対に与えられ、神の望みのままに、聖霊の望みのままに、必要な時に備えられて、私たちが神様の恵みに応答できるように愛していてくださるのだと知り、感謝します。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」(同12:24)