コロナウイルスは変化しながらこの世界で増殖して人間を苦しめています。酸素は足りず、入院が必要でもベッドがなく、救える命を救えなかった。医療者としては辛く、恐ろしくてたまらない状況です。地球環境は変化し、自然災害が驚くほど多くなりました。戦争がなくても平和ではありません。私個人のことを言えば、なんだか職場がギスギスしていたり、家族ともギスギスしたり、先日は仕事でひどいミスをしてスタッフに迷惑をかけて落ち込み、立ち直るのにしばらくかかりました。
イエス様は「わたしは、平和(シャローム)をあなたがたに残し、わたしの平和(シャローム)を与える。」ヨハネ14:27 と言われました。ヘブル語の「シャローム」が意味することはちょっと複雑でステキなことです。何も欠けたところがなく完全な状態を指して平和(シャローム)というのだそうです。健康で、人間関係においても、能力も経済的にも満たされた完全な状態です。そのシャロームを残していったんだよ、と言われてもにわかには信じ難いですよね。この世に完全なものなどないというのは真実です。ではなぜイエス様はシャロームを与えると言ったのでしょうか。イエス様はこの後、「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。」と言われました。
私が仕事で大変なミスをした時、報告を聞いた上司が「ミスをしたのが足立さんでよかった」と思ったそうです。他の人だったらメンタルがやられて仕事に来られなくなったかも知れない、でも足立さんならちゃんと反省した上できっと大丈夫だと思った、というのです。当の私は精神的な落ち込みのため憔悴しひどい状態でした(同僚談)。その間、神様は特別に支えてくださいました。「わたし(神)の力は弱いところに完全にあらわれる」Ⅱコリント12:9(口語訳)というのは本当です。私は頑張れなかったのに、主が私のことを気にかけ、事を運んでくださいました。それを感じた時の平安といったら!上司の言う通り、「私、大丈夫だ」と思いました。シャロームは与えられていました。
嵐の波にもまれる船の上で眠っていたイエス様のように、揺り動かされず、ただ神に信頼することで希望を持ち、神が良いお方でよいものをくださると1ミリも疑わず、悲しみや困難なことがあっても、それでも神は良いお方と言いたい。平穏な生活は容易に壊される。でも神の恵みはそれを遥かに超えていることを、私たちが信じることができるようにと祈ります。