コロナ禍に看護師として思うこと     教会員

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コロナウイルス感染症が私達の生活を一変させたこの一年、感染症の患者さんと直接関わることはない「緩和ケア病棟」に勤務している私が感じる一番の変化は、面会に制限ができたということです。一般の病棟では一切の面会が禁止される中、面会をどうするかは皆悩みました。本来、24時間いつでも、どれだけでも面会が可能で、ボランティアさんが来てお茶を淹れてくれるティーサービスの時間があったりして、もう間もなく死を迎えるであろう患者さんにとって少なからず慰めになっていたはずですが、それができなくなりました。
許されているのは決められた2人の家族の短時間の面会のみ。その他の親戚や友人は面会ができません。患者さんは人生最後の期間、ひとりで食事をしています。電話は可能ですが、体力が落ちて会話が困難になった方はベッドに横たわっているのが精一杯です。寂しくてただ誰かに傍にいてほしいものです。親しい人が、ただ黙って同じ空間にいてくれたらそれで随分安心できるのです。病室に来て雑誌を読んでいても、テレビを観ていてもかまわないのです。面会に来た人同士が普段通りの会話をするのを、もうはっきりしない意識の中で聞いていられたら、それで落ち着くものなのです。
ただ傍に居るということは、死にゆく人に対して私達ができる一番のことです。それはコロナ感染症の人も、がんの終末期の人も、老いて衰えていく人も同じで、そして私達は明日生きている保証などない人間ですから、皆、終末期です。その大切な「傍にいる」ということをコロナは奪っています。「なぜですか?」と神様に問いかけることはもちろん許されていますが、たぶん天の御国まで持ち越すことになるでしょう。
それよりも「なにをしたらいいですか?」と問いかけようと思います。この問いにはいつも誠実に神様は答えてくださいました。“冷たい水が飲みたい”と言われた方にたっぷりの氷を入れようと思い立ち、“あぁおいしい!”という言葉を聞けたとき、“さびしいよ、もう死にたい”と言われた方の部屋にもう5分とどまって話を聴こうと示され、“忙しいのにありがとう”と言われたとき、神様と共に働けた、と嬉しくなります。これでいい、この小さな業を積み重ねていこうと思えるのです。
「平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。」ヘブライ13:20-21