友人から質問を受けることがある。教会(礼拝)はどんなことをしているのか、クリスチャンはどんなことを信じているのか、教会生活を送ることやクリスチャンになることで何が変わるのか、多くの疑問があることが分かる。普段の生活の中で、教会のイメージと言えば“結婚式”や“聖歌隊”、“クリスマス”をイメージするのではないだろうか。牧師と神父を混同している友人も多くいる。それほど、教会に接したことが無い人は、ほとんど何も知らないのである。
私にとって、教会とは愛や赦しを学ぶ場所であり、クリスチャンとは神様と一緒に生きる生活であると言える。日本にとって、宗教を信じることはマイノリティであり、周囲の人に教会に行っていることやクリスチャン生活を理解してもらうことは難しい。宗教に頼ることは弱いこと、自分は信じるものはないと考える人に良く出会う。
人は何と悩みが多いことか。友人や家族関係、受験や仕事、恋愛、健康・・と日々様々なことに悩む。そして、恋愛成就や金運が上がるパワースポットを巡り、神社へお参りをする。結婚式はキリスト教式に憧れ、一貫した生き方を持たず、自分のために利益をもたらしてくれそうなことに興味を持つ。決してそのような姿勢を否定はしないが、無意識に私たちは迷い、何かに頼っていることに気付かないのである。
私は、クリスチャンとして信仰生活を歩む中で、多くの過ちを繰り返し、決して誇らしい人間ではない。自分の意見が正しいと意固地になることがある。周囲の人に心を通わせることができない弱さもある。しかし、毎週教会生活を送る中で、聖書や賛美、祈りによって自分の弱さを示され、我に立ち帰る時間を持てることは幸いである。また、愛し合うこと、赦し合うことについて深く考えることができる。それによって、心が豊かにされ、クリスチャンとしての喜びを実感できる。学校や社会では、愛情や思いやりは大切だと唱えるが、価値観が違う人や社会的に弱い立場の人を排斥したりや差別したりしている悲しい現実を見る。このような悲しい今日だからこそ、私たちにとって神様と繋がる教会は必要な場所であるのではないだろうか。クリスチャンの喜びを多くの方に知って貰えるように、これからも祈りたいと思う。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイによる福音書7.7