「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」
コロサイ3:15
「キリストの平和」とは、なんと慰めと希望に満ちた言葉であろうか。「キリストの平和」とは、ただ戦争がなく、深刻な悩みがないということではない。「キリストの平和」とは、平和そのものであるキリストが与えてくださる平和であり、心が騒ぎ、おびえるような時にも、キリストによって心の中が平安にされていくことである。そして、この平和はいついかなる状況の中でも、キリストによって与えられる平和である。
私は30代の時に、腎臓がんを患い、右腎臓を摘出するという試練を経験した。その時、3人の子供は小さく、この先、我が家は、教会は、どうなるのだろうかと不安に襲われた。その時、私を慰め、支えてくれたのは、主と主の御言葉であった。 「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」エレミヤ29:11。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」ヨハネ14:27。このような御言葉によって、私は、この試練にも主が最善の御計画を備えておられることを知って、それ以後、どんな結果が待っていようとも、全てを主に感謝して、主に委ねることにした。すると、不思議なことに、心の中に平安が満ち溢れていった。
平和の主がどんな時にも共にいてくださる。自分の心を自分で満たすことができず、渇き、またそれ故に、人を責め、傷つけてしまうような私たちを、赦し、満たしてくださる主が共におられる。平和を作り出すことができない私たちの所にやってきて、その臨在をもって平和を満たす主がおられる。不安や疑い、分裂や絶望の最中にいる私たちに、主は十字架の血潮をもって、和解の手を差し伸べてくださる。
「キリストの平和が、わたしたちの心の隅々にまで、行きわたりますように。」こどもさんびか34番。「キリストの平和」は私たちの心の隅々にまで行きわたる。そして教会は、キリスト者はそれを証言するために立てられている。「キリストの平和」の使者として、自分の置かれた、家庭や地域、学校や職場、に遣わされていきたい。「キリストの平和」が、あの方の中にも、この方の中にも、行きわたりますように。