アドベントを迎えて

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本日からアドベントに入った。ローソクに灯された光を見ながら、「救い主」であり「平和の君」であるキリストの誕生を待ち望む時である。クリスマスは4世紀まで祝われることはなかった。アドベントは、それから2世紀後の6世紀になって行われるようになった。初期の頃は、クリスマスよりイースターが大切にされていた。このアドベントには、ラテン語で「到来」という意味がある。すでにこの世に到来してくださったキリストの誕生を祝うと共に、将来、キリストが再び来られる「再臨」を待ち望むという二重の意味がある。アドベントは、まだ見ぬものに感謝しつつ、忍耐しながら待つことの大切さを気付かせ、希望を持たせてくれる時なのである。

アドベントという言葉は、「アドベンチャー」の語源になった。アドベンチャーとは「冒険」という意味だが、それと共に「予期せぬ出来事」という意味でもある。神が人となってこの世に来られた出来事は、まさに「予期せぬ出来事」であった。メシアを待ち望んでいたユダヤ人は、イエスを受け入れることができなかった。それは、今日の私たちにも言える。クリスマスを祝いながら、救い主を受け入れているだろうか。このアドベントを、キリストを心に迎えることができるように、祈りを捧げる時としたい。辻宣道先生の『その時の祈り~アドベントを迎えて』は、祈りのよい手引きである。

キリストをこの世にお送りくださった神さま、

一年が終りに近づくこの季節に、アドベントを迎えるさいわいを思います。

これは年末の風物詩ではなく、神さまからの呼びかけです。

いまこのとき、再び「来る」と約束して、天に昇られたイエス・キリストを、

心から「待つ」信仰に私たちを導いてください。

かつてベツレヘムの闇の中に、光としておいでになった神の子の事実は、

再び光として来るキリストを、胸おどらせて待つ思いにさせます。

世の中は矛盾だらけです。解決はすべて先送りの状態です。

イエス・キリストが再びおいでになって、すべてを解決してくださるまで、決着はつきません。

旧約以来のメシヤ待望に応えてくださった神さま、

あなたは「アアメン主イエスよ来りませ」という信仰に必ず応えてくださるかたです。

クリスマスを待つ心と、終末を待つ心が重なって、

この時を、最高に霊的な時として過せますように。