#もし75年前にSNSがあったら    教会員

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「もし75年前にSNSがあったら、当時の人はどんなことをつぶやいていたでしょう?NHKでは、終戦の年(1945年)に広島で書かれた日記をもとに、75年前の暮らしをTwitterで毎日発信中です。」(広島放送局HPより抜粋)

7月末、この「1945ひろしまタイムライン」というツィッターを知った。早速フォローすると、1945年を生きる新聞記者の一郎さん、主婦のやすこさん、中学一年生のシュンくん(実在した方がモデル)達の呟きが2020年のツィッターに混ざって出てくるようになった。企画物であるとわかっていても、この3人のツィッターを読む時はまるでタイムスリップした感覚になる。しかし私は8月6日に何が起こるかを知っている。前日のツィッターは読む度に「あぁどうしよう、それどころじゃなくなるのに」と落ち着かない気持ちだった。翌朝、「今日もよく晴れている」などの呟きが出る度に心臓がバクバクした。そして「その時」の瞬間の呟きは「ん?」「えっ」…。

やがて混乱、動揺、惨状、家族や友達を心配するツィートがどんどん入ってきた。そして2、3日経った頃の「何だかだるい」「熱がなかなか下がらない」という呟きに、2020年の私は被曝のせいではないだろうかと心配なのだが、当の三人は身体を休めつつ、自身の為すべき仕事に戻ろうと必死だ。

このツィッターは今年いっぱい続くのだそうで、今も実在の日記の日付けに沿って呟きが流れてくる。中でも興味深いのは、やすこさんの心境である。妊娠中のやすこさんは、お腹の赤ちゃんの成長を心配したり、これからの世の中、この子は授かって良かったのだろうかと不安に思ったりする反面、8月15日の敗戦を知った時には「最後の一人になっても戦うんじゃなかったのか」と悔しがる。「命」について両極端な印象を受けるやすこさんのツィートに、私は誰しも持っている危うさを感じた。1945年の三人も2020年の私達も同じように今を一所懸命に生きている。しかし、どの一所懸命を選択するかで未来は変わるのだ。奇しくも今、私たちは日々選択を迫られつつ過ごしている。それは未来に何を残しているのか。私は「主に在る平和」に立って選びとって行きたい。

「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。」(平和の祈りより)