今日の社会は、とても生きづらい時代である。コロナ感染症が続く中で、年間の自殺者数は2万人を越え、引きこもりの人は 115万人に上ると言われる。ひきこもっている人たちが抱える苦悩は計り知れない。「社会に居場所がなくてつらい」「自分はダメ人間だ」「外に出たいこともあるけど、人の目が気になって出られない」「なまけていると思われるのがいやだ」といった声が聞かれ、自分の存在を否定して苦しむのである。
しかし聖書を読む時、自分の弱さをむしろ誇ってもよいことに気が付く。パウロは、「自分の弱さを誇りましょう」「私は弱いときにこそ強い」Ⅱコリント12:9-10と語る。パウロ自身、大きな病を持っていたと考えられる。それが、てんかん、眼病、マラリア等であったかは定かではないが、パウロがその病について「とげ」とか「サタンの使い」と表現していることから想像すると、とてもつらい病であったことは確かである。
彼は病が伝道者としての仕事にとってもマイナスだと考えて、病の回復を真剣に主に祈った。すると、主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」Ⅱコリント12:9と語られた。「私の恵みはあなたに十分である」とは、彼が望んたように病が治ることではなかった。それは、病を患うことによって、自分を誇ることが出来ず、ただ神を頼って、謙虚に生きる他はなかったのである。
パウロは病を患うことによって、また他者の苦しみを自分の苦しみとすることが出来た。この「神の前の謙虚さ」と「隣人に対する共感」を持つことが出来たことこそ、人間として一番大切なことではないか。彼の肉体のとげ、病は彼の絶望の理由とはならず、神の恵みの働く場所となった。マイナスがプラスに変わったのである。
星野富弘さんの詩はそのことを教えている。「私は傷を持っている。でも、その傷のところからあなたのやさしさがしみてくる。」「喜びが集まったよりも悲しみが集まった方が、幸せに近いような気がする。強い者が集まったよりも弱い者が集まった方が、真実に近いような気がする。幸せが集まったよりも不幸せが集まった方が、愛に近いような気がする。」
本当に強い人、それは神の前で自分の弱さを知った人である。本当に美しい人、それは神の前で自分の罪の深さを知った人である。これが、主の福音の逆説の真理である。パウロのあの強さは、彼の弱さの中にあったのである。主への信仰には、マイナスをプラスに変える力があることを知って、私たちもむしろ自分の弱さを誇りたい。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」